幾部分かをサイパンの箱へ投げ入れてバツカスを祈つた。……一つ二つと数へて見ると恰度八十八段もある長い梯子を、ソフイストの職を擲つた私も、焦るゝ酒の夢を待遠しがりながら朝となく夜となく昇り降りしながら、せつせとサイパンの賽銭箱にお百度を踏んで来た信心家であつた。
蜜柑の収穫も済んで遥かの山々は斑らに雪を頂いてゐた。二三日前にメイが私の部屋に昇つて来て、
「お賽銭箱が、もうあたしの力では持ちあがらなくなつたわ。」
と包みきれぬ嬉しさを浮べた。
「お前のタンバリンの鈴を聞かれる日も、いよ/\眼ぢかとなつたわけか。おゝ、チヤラ/\と鈴の音か、金袋の音か知らぬけれど僕の耳には、はつきりと聞えるよ。」
私はメイ子を膝の上に乗せて、あれ[#「あれ」に傍点]はもうこれ[#「これ」に傍点]位ひ重いか知らなどゝ云つた。
「これ持つてつてよ――重いわ。」
私の笛の音を聴いて私の妻君も駆け出して来た。彼女は登山袋のやうに、バンドのついた手風琴を背につけてゐた。
「いよ/\到着したと見えるね。」
「えゝ、さつきサイパンと権太郎さんが馬車を曳いて音無村へ行くところを見たわ。」
「そんなら、さうと、此方にも知らせがありさうなものなのに……」
「思はぬ光景を見せて、びつくりさせてやりたいと思つてるのよ、屹度!」
私は妻と腕を組んで、すいすいと月の光の中を泳いで行つた。
だが私は、サイパンの酒呑場に踏み込んで見ると、思ひも寄らぬ光景を発見した。薄暗いランプの下に、埃だけが積つてゐる円卓子を取り囲んだ連中は恰も鴉のやうな放神状態で、夫々の厭世的な姿を視守つてゐるだけであつた。そして私の入来に気づくと一勢に顔を反向けて、土鼠のやうに暗がりの方へ蠢いて行つた。
私は、言葉の通じぬ異国人に物を尋ねる程の困難を犯して、漸くその[#「その」に傍点]理由を問ひ訊して見ると、今日はいよ/\期が熟したのでサイパンを先頭にして数名の連中が金袋を携へて音無家を訪れたところが――。
彼等は勢ひきつて音無家の門に到着すると「ペンドラムの仲間が、この通りに莫大な金袋をひつさげて、酒を購ひに来たのである、いざ扉を開けたまへ。」
斯う叫んで一勢にぢやら/\と、神前の鈴を振るやうに金の音を響かせた。すると物見窓の口から鬼のやうな腕がぬつと現れて、
「数へて見ませう、どれ/\……」
と一つ一つ袋をうけとつて、大分待たされたかと思ふと、やがて門番が顔だけを現して、
「御苦労様でした。お金はあれで充分だつた、サイパンの家賃、七郎丸の舟貸料、ペンドラムの蜜柑畑の租税の立替、それらのものゝ返済金として充分だつた。更に同額の金袋を持参したならば酒を売らう。」
「それ[#「それ」に傍点]とこれ[#「これ」に傍点]とはわけが違ふぞ、はなしは始めから……」
一同は狼狽して窓口に飛びかゝつたが、忽ちぴたりと閉ぢてしまつて、空に一羽の鳶が大輪を描いて舞つてゐるだけであつた。――私の言葉に従つたばかりで、何も彼も水泡に帰してしまつたわけである。
「攻め入ろう。」
私は狂気の叫びを挙げて、空の酒壜を卓子で打ち砕いた。
「手だては斯うだ。」
私は次々の仲間に何事かを囁いた。
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フアラモンよ フアラモンよ
吾等は剣を執り 斧を揮つて戦はう
額から流れる汗が腕をつたふて滝となるまで
黄色い山麓に大鷲は悦びの声を放ち
鴉は死者の流す血の海を泳ぎ
海原は手負ひの傷
牧童達は永い間泣いてゐた
フアラモンよ フアラモンよ 吾等の王よ
吾等の父は戦場の露と消えた
荒鷲の大丈夫も泣きつゞけた
嘆くがまゝに嘆きつゞけた
戦つて戦つて そして凱旋したあかつきは
吾等はおのがじし花嫁を選ばう
その乳は吾等の子孫の心臓を
勇気をもつて満すべき血とならう
おゝ 時は流れる
いまはのきはに吾等は微笑《わら》はう
フアラモンよ
………………
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私は、ノルマンデイの海賊の|戦ひの唄《バルヂン》を、横笛で吹奏した。そしてドリアンに打ち跨つた。その間に戦器を積んだ三台の馬車が用意されると、それに十五騎の連中が分乗して、鳴りを鎮めて出発した。
振り返つて見ると妻とメイ子が切りに腕を振つてゐた。笛を高くあげて呼応すると、影が長槍のやうに伸びて、彼女等の胸にもとゞきさうであつた。月は行手の山の蔭に沈まうとしてゐるらしかつた。
音無家の屋根が眼下に見降せる丘の上まで来ると、私は馬上からアメリカ・インヂアンのアツシユの弓を満月と振りしぼつて、ひようと放つた。一片の詩片を結んだ矢は、流星に見紛ふ弾道を描いて、ピラミツド型の屋根に落ちた。
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“|But this fold flow'ret climbs the hill《この花こそは山にも攀ぢよ》,
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