君に此方の心を悟られるのが癪だつたので、自ら女を促して場席についた。
今度の場面は、夫の平和な新生活のところだつた。彼は、新しく美しい細君を得てゐた。そこに先に家出した女房が再び戻つて来て、何か芝居らしいいきさつ[#「いきさつ」に傍点]が生ずるのだつた。
「電車が込むと厭だから、この辺でもう帰りませうか。」と細君は夫の袖を引いた。
此奴俺より馬鹿だな――夫はさう思ひながら熱心に見物する振りをしてゐた。
「面白いんだよ。」
斯う云つたつて、こんな女には好い効果を奏するとは思つたが、自分としてそんな科白は出なかつた。
「ねえ、あなたもう帰りませうよ。」
「あゝ、あゝ、まアもう一寸お待ちよ。」
「妾、おなかが空いたから先に出るわよ。」
「勝手にしろ!」
彼は細君の馬鹿さ加減が厭になつて、ほんとにムツとした。あゝ斯んな女と結婚して不幸だつた――微かにそんな気さへした。
「何だ自分だつてさつきあんなに厭な顔をしてゐたくせに!」
突然細君も敗けん気を起して一矢報いた。夫の気は一辺にくぢけた。そして顔をあかくした。
「あなたも随分馬鹿だわね。」細君は皮肉らしい苦笑を浮べて夫の顔を覗き込んだ
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