ぐにも聞いたはなしで、彼等が夜歩きや踊り見物に現れるのを見出す者は無かつた。
「僕達としたつて、若しも此処の青年だつたら、やはり彼等を狙ふだらうな。」
「それあ、もう誰にしろ当然で、私なら先づ最初に法螺忠を――」
「彼等は自分達が狙はれてゐるのを秘さうとして、俺などを巻添へにするやうだよ。どう考へても俺は自分が彼等より先に担がれようなどゝは思はれないよ。」
「無論その通りですとも。奴等の云ふことなんて気にすることはありませんさ。」
 私と御面師は、そんなことを話合ひ、寧ろ万豊やJ氏が先に難を蒙つたのを不思議としたこともあつた。
 私は、囲炉裡のまはりに、偶然にも容疑者ばかりが集つたのを、改めて見廻した。そして、人の反感や憎念をあがなふ人物といふものは、その行為や人格を別にして、外形を一|瞥《べつ》したのみで、直ちに堪らぬ厭味を覚えさせられるものだとおもつた。人の通有性などゝいふものは平凡で、そして適確だ。私にしろ、若しも凡ての村人を一列にならべて、その中から全く理由もなく「憎むべき人物」を指摘せよと命ぜられたならば、やはりこれらの者共と、そして万豊とJを選んだであらうと思はれた。
 杉十郎と松は父子《おやこ》の癖に、まるで仲間同志の口をきき合ひ、折りに触れては互ひにひそ/\と耳打ちを交して点頭いたり冷笑を浮べて何うかすると互ひの肩を打つ真似をした。親密の具合が猿のやうだ。父と子であるからには余程の年齢が相違するだらうにも係はらず、二人とも四十位ひに見え、言語は聞直さないと如何にも判別も適はぬ不明瞭さで、絶間もなくもぐ/\と喋り続けるに伴れて口の端に白い泡が溢れた。そして、手の甲で唇と舌とを横撫でして、加けにその手の甲を何で拭はうとするでもなく、そのまゝ頭を掻いたり肴をつまんだりした。指の先は始終こせこせとして皿や小鉢を他人のものも自分のものもちよつ/\と位置を動かしたり、いろいろ食ひものをほんの豆の端ほど噛んで膳の縁に置き並べたり、その合間には小楊枝の先を盃に浸して膳の上に文字を書いた。癖までが全く同じやうで、松が時々差挟む「阿父さん」といふ声に気づかなければ、双児のやうだつた。
 法螺忠は何か一言云ふと、あははと馬のやうに大きな黄色の歯をむき出して笑ひ、それに伴れてゲーツ、ゲーツと腹の底から込みあげる蒸気のやうなゲツプを遠慮会釈もなく放出して「どうも胃酸過多のやうだ。」と呟きながら奥歯のあたりを親指の腹でぐいぐいと撫た。鼻は所謂ざくろ鼻といふやつだが、たゞ赤いばかりでなく脂光にぬらついて吹出物が目立ち、口をあく毎に双つの小鼻が拳骨のやうに怒り鼻腔が正面を向いた。そして笑つたかとおもふと、その瞬間に笑ひの表情は消え失せて、相手の顔色を上眼づかひに憎々し気に偸見してゐるのだ。
「よろしい、俺が引受けたぞ。」
 彼は折々突然に開き直つて、いとも鹿爪らしく唸出すと大業な見得を切つて斜めの虚空を睨め尽したが、おそらくその様子は誰の眼にも空々しく「法螺忠」と映るに違ひないのだ。
「忠さんが引受けたとなれば、それはもう俺たちは安心だけど、だが――」と松は神妙に眼を伏せて楊枝の先を弄しながら、誰々を抱き込んで一先づ背水の陣を敷き、などゝ首をひねつてゐた。法螺忠のそんな大業な見得に接しても至極自然な合槌を打てる松共も、亦自然さうであればあるだけ心底は不真面目と察せられるのだ。彼等は、何か選挙運動に関する思惑でもあるらしかつた。柳下杉十郎が再度村会へ乗出さうといふ計画で、法螺忠やスツポンが運動員を申出たものらしかつた。自分たちが当今村人たちから、あらぬ反感を買つてゐるのは反対党の尻おしに依るものである故、当面の雲行を「或る方法で」乗切りさへすれば、翻然として一時に信用は奪返せる筈だといふ如き自負に易んじてゐる傾きであるが、彼等へ寄せる村人等の反感は寧ろ彼等への宿命的な憎念に発するものに違ひなかつた。スツポンといふのは養魚場の宇佐見金蔵の仇名で、彼は自ら空呆けることの巧みさと喰ひついたら容易に離さないといふ執拗振りを誇つてゐた。彼は松の云ふことを、え? え? え? と仔細らしく聞直して、相手の鼻先へ横顔を伸し、たしかに聞き入れたといふハズミに急に首を縮めて、
「一体それは、ほんとうのことかね。」と仰山にあきれるのだ。――「だが、しかし万豊の芋畑を踊舞台に納得させるのは歴起とした公共事業だ。堀田君と僕は、先づこの点で敵の虚を衝き……」と彼は不図私達に聴かれては困るといふらしく口を切つて、法螺忠や障子の穴へ順々と何事かを囁いたりした。そして、うつらうつらと首を振つてゐた。彼の眼玉は凹んだ眼窩の奥で常々は小さく丸く光つてゐるが、人が何かいふのを聞く度に、いちいち非常に驚いたといふ風に仰天すると、たしかにそれはぬつと前へ飛出して義眼のやうに光つた。その様子だけは如何にも胆に命じて驚いたといふ恰好だが、本心は何んなことにも驚いてはゐない如く、眼先はあらぬ方をきよとんと眺めてゐるのだ。多分彼は、真実の驚きといふ感情は経験したためしは無いのではなからうか。――頤骨がぎつくりと肘のやうに突き出て、色艶は塗物のやうな滑らか気な艶に富み、濃褐色であつた。額が木魚のやうなふくらみをもつて張出し、耳は正面からでも指摘も能はぬほどピツタリと後頭部へ吸ひつき、首の太さに比較して顔全体が小さく四角張つて、何処でもがコンコンと堅い音を立てさうだつた。また首の具合が如何にも亀の如くに、伸したり縮めたりする動作に適して長くぬらくらとして、喉の中央には深い横皺が幾筋も彫まれてゐた。え? え? え? と横顔を伸して来る時に、不図間ぢかに見ると眉毛も睫毛も生えてゐないやうだつた。
 無論彼等が村人に狙はれるのは、さまざまな所業の不誠実さからだつたが、私は他の凡ゆる人々の姿を思ひ浮べても、彼等程その身振風態までが、担がれるのに適当なものを見出せなかつた。彼等の所行の善悪は二の次にして、たゞ漫然と彼等に接したゞけで、最早充分な反感と憎しみを覚えさせられるのは、何も私ひとりに限つたはなしではないのだ、などゝ頷かれた。いつかの万豊のやうに、スツポンや法螺忠が担ぎ出されて、死者狂ひで喚き立てる光景を眺めたら、何んなにおもしろいことだらう、親切ごかしや障子の穴の猿共がぽんぽんと手玉にとられて宙に跳上るところを見たら、さぞかし胸のすくおもひがするだらう――私は、彼等の話題などには耳もかさず、ひたすらそんな馬鹿/\しい空想に耽つてゐるのみだつた。
「……俺アもうちやんとこの眼で、この耳で、繁や倉が俺たちの悪い噂を振りまいてゐるところを見聞してゐるんだ。」
「ほゝう、それあまたほんとうのことかね。」
「奴等の尻おしが籔塚の小貫林八だつてことの種まであがつてゐるんだぜ。」
「林八を担がせる手に出れば有無はないんだがな。」
 彼等は口を突出し、驚いたり、歯噛みしたりして画策に夢中だつた。――稀に飲まされた酒なので、好い加減に酔つて来さうだと思はれるのに一向私は白々としてゐるのみで、頭の中にはあの壮烈な騒ぎの記憶が次々と花々しく蘇つてゐるばかりだつた。
「何うでせうね。代金のことは切り出すわけにはゆかないもんでせうかな。まさか振舞酒で差引かうつて肚ぢやないでせうね。」
 御面師がそつと私に囁いた。
「そんなことかも知れないよ。」と私は上の空で答へた。それより私は、好くも斯う憎態な連中だけが寄集つて自惚事を喋舌り合つてゐるものだ。斯んなところにあの一団が踏み込んだらそれこそ一網打尽の素晴しさで後くされがなくなるだらうに――などゝ思つて、彼等の様子ばかりを視守ることに飽きなかつた。その時スツポンが私達の囁きを気にして、え? え? え? と首を伸し、御面帥の顔色で何かを察すると「まあ/\お前方もゆつくり飲んでおいでよ。うつかり夜歩きは危ねえから、引上る時には俺達と同道で面でもかむつて……」
「あははは。ためしにそのまゝ帰つて見るのも好からうぜ。」と法螺忠は笑ひ、私と御面師の顔を等分に凝つと睨めてゐた。私は何気なくその視線を脱して、スツポンの後ろに掛つてゐる柱鏡を見てゐると、間もなく背後から水を浴びるやうな冷たさを覚えて、そのまゝそこに凝固してしまひさうだつた。鏡の中に映つてゐる自分の姿は、折角人がはなしかけても憤つとして、自分ひとりが正義的なことでも考へてゐるとでもいふ風なカラス天狗沁みた独り好がり気な顔で、ぼつと前を視詰めてゐた。顔の輪廊が下つぼみに小さい割に、眼とか鼻とか口とかが厭に度強《どぎつ》く不釣合で、決して首は動かぬのに、眼玉だけが如何にも人を疑るとでもいふ風に左右に動き、折々一方の眼だけが痙攣的に細くさがつて、それに伴れて口の端が釣上つた。小徳利のやうに下ぶくれの鼻からは鼻毛がツンツンと突出て土堤のやうに盛上つた上唇を衝き、そして下唇は上唇に覆はれて縮みあがつてゐるのを無理矢理に武張らうとして絶間なくゴムのやうに伸したがつてゐた。法螺忠がさつきから折に触れては此方の顔を憎々しさうに偸み見るのは、別段それは彼の癖ではなく、人を小馬鹿にする見たいな私の面つきに堪えられぬ反感を強ひられてゐたものと見えた。そして私のものの云ひ方は、人の云ふことには耳も借さぬといふやうな突つ放した態で、太いやうな細いやうなカンの違つたウラ声だつた。――私は次々と自分の容子を今更鏡に写して見るにつけ、人の反感や憎念を誘ふとなれば、スツポンや法螺忠に比ぶべくもなく、私自身としても、先づ、こやつ[#「こやつ」に傍点]を狙ふべきが順当だつたと合点された。こやつが担がれて惨憺たる悲鳴を挙げる態を想像すると、其処に居並ぶ誰を空想した時よりも好い気味な、腹の底からの爽々しさに煽られた。それにつけて私はまた鏡の中で隣りの御面師を見ると、狐のやうな不平顔で、はやく金をとりたいものだが自分が云ひ出すのは厭で、私をせき立てようといらいらして激しい貧乏ゆすりを立てたり、キヨロ/\と私の横顔を窺つたりしてゐるのが悪感を持つて眺められた。彼はこの卑怯因循な態度で終ひに人々から狙はれるに至つたのかと私は気づいたが、普段のやうに敢て代弁の役を買つて出ようとはしなかつた。そして私はわざとはつきりと、
「水流舟二郎君、僕はもう暫く此処で遊んでゆくから、若し落着かないなら先へ帰り給へな。」と云つた。
「ミヅナガレ舟二郎か――こいつはどうも打つてつけの名前だな。あはは。」と法螺忠が笑ふと、スツポンが忽ち聴耳を立てゝ、え? え?、え? と首を伸した。すると法螺忠は、後架へでも走るらしく、やをら立上ると、
「あいつは一体生意気だよ。碌々人の云ふことも聞かないで偉さうな面ばかりしてやがら、余つ程人を馬鹿にしてやがるんだらう。何だい、独りでオツに済して、何を伸びたり縮んだりしてやがるんだい。自惚れ鏡が見たかつたら、さつさと手前えの家へ帰るが好いぞ。畜生、まご/\してやがると、俺らがひとりで引つ担いで音をあげさせてやるぞ。」などゝ呟き、大層癇の高ぶつた脚どりであつた。



底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
   2002(平成14)年7月20日初版第1刷発行
初出:「文藝春秋」文藝春秋社
   1934(昭和9)年12月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:伊藤時也
2006年9月17日作成
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