のなりで、命かぎりの悲鳴を挙げてゐた。たしかに何かの言葉を吐いてゐるのだが、支那かアフリカの野蛮人のやうなおもむきで、まるきり意味は通じなかつた。たゞ動物的な断末魔の喚きで気狂ひとなり、救ひを呼ぶのか、憐れみを乞ふのか判断もつかぬが、折々ひときわ鋭く五位鷺のやうな喉を振り絞つて余韻もながく叫びあげる声が朧夜の霞を破つて凄惨この上もなかつた。と、その度毎に担ぎ手の腕が一勢に高く上へ伸びきると、逞ましい万豊の体躯は思ひ切り空高く抛りあげられて、その都度空中に様々なるポーズを描出した。徹底的な逆上で硬直した彼の肢体は、一度は鯱《シヤチホコ》のやうな勇ましさで空を蹴つて跳ねあがつたかとおもふと、次にはかつぽれの活人形のやうな剽逸な姿で踊りあがり、また三度目には蝦のやうに腰を曲げて、やをら見事な宙返りを打つた。そして再び腕の台に転落すると、またもや激流にのつた小舟の威勢で見る影もなく、拉し去られた。――私は堪らぬ義憤に駆られて、夢中で後を追ひはじめたが忽ち両脚は氷柱《ツララ》の感で竦みあがり、空しくこの残酷なる所刑の有様を見逃さねばならなかつた。空中に飛びあがる憐れな人物の姿が鳥のやうに小さく遠ざかつてゆくまで、私は唇を噛み、果は涙を流して見送るより他は術もなかつた。――それにしても私は、斯んな奇怪な光景を眼のあたりに見れば見るほど、見知らぬ蛮地の夢のやうでならなかつた。
 後に聞くところに依ると、あの激しい胴上を十何辺繰返しても気絶もせぬと、村境ひの川まで運んで、流れの上へ真つさかさまに投げ込むのださうである。結社の連中は必ず覆面をして黙々と刑を遂行するから、被害者は誰を告訴するといふ方法もなく、人々は一切知らぬ顔を装ふのが風習であり、何としても泣寝入より他はなかつた。
 あの時の万豊の最後は、あれなり私は見届け損つたが、狙はれたとなれば祭りや闇の晩に限つたといふのでもなく、蛍の出はじめたころの或る夕暮時に、村会議員のJ氏が役場帰りの途中を待伏せられて、担がれたところを、私は鮒釣の帰りに目撃した。彼は達者な泳ぎ手で、難なく向岸へ抜手を切つて泳ぎついたが、とぼ/\と手ぶらで引あげて行つた折の姿は、思ひ出すも無惨な光景で私は目を掩はずには居られなかつた。
 鵙の声などを耳にして、あの時のことを思ひ出すと、私にはありありと万豊の叫びや議員のことが連想された。やがては次第に私も迷信的にでも陥入つたせゐか、水流舟二郎などゝいふ文字を考へたゞけでも、臆病気な予感に悸やかされた。あの胴上もさることながら、この寒さに向つての水雑炊と来ては思ふだに身の毛の悚つ地獄の淵だ。私は、水だの、流れだのといふ川に縁のある文字を感じても、不吉な空想に震へた。定めとてもない漂泊の旅に転々として憂世をかこち勝ちな御面師が、次第に自分の名前にまでも呪詛を覚えたといふのが、漠然ながら私も同感されて見ると、私は彼との悪縁が今更の如く嗟嘆されたりした。
 澄み渡つた青空に、鵙の声が鋭かつた。往来の人々が、何か迂散臭い眼つきで此方を眺める気がして私は、いつまでも窓から顔を出してゐることも出来なかつた。
「そんな色に塗られては……」
 戻つて来た御面師が、慌てゝ私の腕をおさへた。なるほど私はうかうかと青の泥絵具を、紅を塗るべき天狗の面になぞつてゐるのに気がついた。

     二

 万豊やJ氏が何んな理由で担がれたものか、私は知らなかつたが、人々が私への反感の最初の動機は、J氏の災難の時に、私が見ぬ振りを装つて其場を立去らなかつたばかりか、彼に肩を借して共々に引上げて行つたといふのが起りであつた。尤もそれが村の不文律を裏切つた行為であるといふのを知らなかつた者である故、あたり前なら一先づ見逃さるべき筈だつたが、日頃から私の態度を目して「横風で生意気だ。」と睨んでゐた折からだつたので、これが条件として執りあげられ、やがてリンチの候補者に指摘されるに至つたらしいのであるが、私として見るとそれ位ひのことで狙はれる理由にもならぬとも思はれた。
「いゝえ、そりや、たゞのおどかしだといふことですぜ。今度から、そんな場合を見たら素知らぬ顔で脇さへ見てゐれば好いのだ、気をつけろといふ遠廻しの忠告ですつてさ、仕《や》るとなれば前触れなんてする筈もないぢやありませんか。」
 御面師はそれとなく附近の模様を探つて来て、私に伝へた。――「此度の秋の踊りまでには出演者は皆な仮面《めん》を、そろへようといふことになつてゐるんだから、私たちが居なくなつたら台なしでせうがな。それに近頃また日増に註文が増えるといふのは、何も連中は体裁をつくる仕儀ばかりぢやなくつて、脛に傷持つ方々が意外の数だといふんです。仮面《めん》さへかむつてゐれば担がれる心配がないといふところから……」
「でも、いつかのJさんの場合などがあるところを見ると、何も踊りの晩ばかりが――」
「いゝえ、あれは、たゞの喧嘩だつたんですつてさ。担ぐのは、踊りの晩に限られた為来りなんで。」
「それなら何も僕はあの時のことを非難されるには当らなかつたらうに。」
 さうも考へられたが、村政上のことで村人の仇敵になつてゐるJ氏だつたので思はぬ飛ちりが私にも降りかゝつたのであらう、と思はれるだけだつた。
 さつきから御面師は、切りと私を外へ誘ひたがるのだが、私はどうも闇が怕くてだぢろいてゐたところ、そんな風にはなされて見ると、たとへ自分がブラツク・リストの人物とされてゐようとも、当分は大丈夫だといふ自信も湧いた。それに踊りの頃になつたにしろ、そんなに大勢の候補者があると思へば、何も自分が必ずつかまるといふわけでもなからうし、そんな懸念は寧ろ棄てるべきだ、加けに多くの候補者のうちではおそらく自分などは罪の軽い部ではなからうか――などゝ都合の好ささうな自惚を持つたりした。
 出歩きを怕がつて、万豊などに使を頼むのは無駄だから、これから二人がゝりで夫々の註文主へ収め、暫く振りで倉の外で晩飯を摂らうではないかと御面師が促すのであつた。
「ひと思ひに、景気好く酒でも飲んだら案外元気がつくでせうが。」
「……僕もそんな気がするよ。」と私は決心した。仕上げの済んだ面を、彼がそれぞれ紙につゝんで、私に渡すに従つて、私は筆を執つて宛名を誌した。
「えゝ、赤鬼、青鬼――これは橋場の柳下杉十郎と松二郎。お次は狐が一つ、鳥居前の堀田忠吉。――いゝですか、お次は天狗が大小、養漁場の宇佐見金蔵……」
 御面師は節をつけて夫々の宛名を私に告げるのであつた。私は宛名を誌しながら、次々の註文主の顔を思ひ浮べ、あの四五人が先づ最近の血祭りにあげられるといふ専らの噂だがと思つた。
 何十日も倉の中に籠つたきりで、たまたま外気にあたつて見ると雲を踏んでゐるやうな思ひもしたが、さすがに胸の底には生返つた泉を覚えた。――随分とみごとに面の数々がそちこちの家毎に行渡つたもので、家々の前に差かゝる度に振返つて見ると、夕餉の食卓を囲んだ灯《あかり》の下で、面を弄んでゐる光景が続けさまに窺はれた。何処の家も長閑な団欒の晩景で、晩酌に坐つた親父が将軍の面をかむつて見て家族の者を笑はせたり、一つの面を皆なで順々に手にとりあげて出来栄えを批評したり、子供が天狗の面をかむつて威張つたりしてゐる場面が見えた。そろひの着物なども出来あがり、壁には花笠や山車の花がかゝつて、祭りの近づいてゐるけしきは何の家を眺めても露はであつた。
「皆な面をもつて喜んでゐるね。万豊の栗拾ひたちが、好くもあんなにそろつて面を持出したとおもつたが――飛んだ役に立てたものだな。」
「なにしろ玩具なんてものを普段持扱はないので、子供の騒ぎは大変ださうですよ。」
 うつかりと夜道を戻つて来た酔払ひなどが突然狐や赤鬼に悸されて胆を潰したり娘達がひよつとこに追ひかけられたりする騒ぎが頻繁に起つたりするので、当分の間は子供の夜遊びは厳禁しようと各戸で申合せたさうだつた。

     三

「水流《つる》さんや、お前えも余つ程要心しねえと危ねえぞ。丸十の繁から俺は聴いたんだが、お前えは飛んだ依怙贔負の仕事をしてゐるつてはなしぢやないか、家によつて仕事の仕振りが違ふつてことだよ。」
 杉十郎は自分に渡された面をとつて、裏側の節穴を気にした。
「俺ア別段何うとも思やしないんだが、人の口は煩いからな。」
 彼は一度村長を務めたこともあるさうだが、日常の何んな場合にでも自分の意見を直接相手につたへるといふのではなくて、誰がお前のことを何う云つてゐたぞといふ風にばかり吹聴して他人と他人との感情を害はせた。そして、その間で自分だけが何か親切な人物であるといふ態度を示したがつた。彼も例の黒表の一名だが、おそらくその原因は、その「親切ごかし」なる仇名に依つたものに違ひなかつた。倅の松二郎が亦性質も容貌も父に生写で「障子の穴」といふ仇名であつた。
 眼のかたちが障子の穴のやうに妙に小さく無造作で、爪の先で引掻いたやうだからといふ説と、障子の穴から覗くやうに他人の噂を拾ひ集めて吹聴するからだといふ説があつたが、彼等に対する人々の反感は積年のもので、一度はどちらかゞ担がれるだらう、親と子と間違へさうだが、間違つたところで五分五分だと云はれた。
「繁ひとりが云つてゐるんぢやないよ、阿父さん――」と松は何やらにやり笑ひを浮べながら父親へ耳打した。
「ふゝん、酒倉の伊八や伝までも――だつて俺たちは別にこの人達をかばふわけでもないんだが、そんなに訊いて見ると……な、つい気の毒になつて……」
「止めないか。僕等は何も人の噂を聞きに来たわけぢやないぞ。若し、この人の仕事に就いて君達自身が不満を覚えるといふなら、そのまゝの意見は一応聴かうぜ。」
 私は二人の顔を等分に視詰めた。抗弁をしようとして御面師は一膝乗り出したのだが、自分もやはり担がれる部の補欠になつてゐるのかと気づくと、舌が吊つて言葉が出せぬらしかつた。今更此処で抗弁したところで役にも立たぬと彼はあきらめようとするのだが唇が震へて、思はず首垂れてゐた。
「わしらには何も別段云ふことはないよ。だが、だね……」
「云ふことがないんなら、だが、も、然し、もあるまい。」
「折角、面が出来あがつたといふ晩に今更口論もないものさ。橋場の叔父御の口も多いが、酒倉の先生の理窟は世間には通りませんや、だが、も、然しもないで済めば浮世は太平楽だらうぢやないか。あははは。」
 堀田忠吉は獣医の「法螺忠」といふ仇名だつた。私達としては何もこれらの人々の註文を特に遅らせたといふわけでもなく、ただ方面が一塊りだつたから、努めて取りまとめて届けに来たまでのことである。恰度、養魚場の金蔵なども柳下の家に集つて酒を飲みながら何かひそ/\と額をあつめて謀りごとに耽つてゐるところだつた。――まあ一杯、まあ一杯と無理矢理に二人をとらへて仲間に入れたが、彼等の云ふことがいちいち私達の癇にさわつた。「そんなのなら、えゝ、もう、好うござんす、品物は持つて帰りませう。難癖をつけられる覚えはないんですもの。」
 御面師は包みを直して幾度も立上つたが、忠吉と金蔵が巧みになだめた。
「田舎の人は、ほんとうに人が悪い。うつかり云ふことなどを信じられやしない。」
 私もそんなことを云つた。
「そ、それが、お前さんの災難のもとだよ。折角人の云ふことに角を立てゝ、六ヶしい理窟を喰つつけたがる。もともと、お前さんが狙はれ、水流《つる》さんにまで鉾先が向いて来たといふのは、お前さんのその短気な横風が祟つたといふことを考へて貰はなければならんのだが、今が今どう性根を入れ換へて呉れといふ話ぢやない。人の云ふことを好く聞いて貰ひたいといふものだ――俺達は今、村の者でもないお前さん達が担がれては気の毒だと思つて、対策を講じてゐるところなんぢやないか。」
 杉十郎がこんこんと諭しはじめるので私達も腰を据ゑたが、彼等の云ふことは何うもうかうかとは信ぜられぬのであつた。その話を聴くと、私達ばかりが、矢面の犠牲者と見えたが、柳下父子を始めとして、法螺忠や金蔵の悪評は、桜の時分に此処に私達が現はれると直
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