して私の耳を打つに至っていた。あの戦慄《せんりつ》すべきリンチは、期が熟したとなれば祭の晩を待たずとも、闇に乗じて寝首を掻かれる騒ぎも珍らしくはない。私たちがここに来た春以来からでさえも、三度も決行されている。
 現に私も目撃した。花見の折からで「サクラ音頭」なる囃子《はやし》が隆盛を極めていた。夜ごと夜ごと、鎮守の森からは、陽気な歌や素晴しい囃子の響が鳴り渡って、村人は夜の更《ふ》けるのも忘れた。あまり面白そうなので私も折々遅ればせに出かけては石燈籠の台に登ったりして、七重八重の見物人の上からじっと円舞者連の姿を見守っていた。円陣の中央には櫓《やぐら》がしつらわれ、はじめて運び込まれたという、拡声機からはレコードの音頭歌が鳴りもやまずに繰返されて梢《こずえ》から梢へこだました。それといっしょに櫓の上に陣取っているお囃子連の笛、太鼓、擂鉦《あたりがね》、拍子木が節面白く調子を合せると、それッとばかりに雲のような見物の群が合の手を合唱する大乱痴気に浮されて、われもわれもと踊手の数を増すばかりで、終《つ》いには円陣までもが身動きもならぬほどに立込み、大半の者は足踏のままに浮れ呆《ほう》け、踊り痴《ほう》けていた。――そのうちに向方《むこう》の社殿のあたりから、妙に不調和な笑い声とも鬨の声ともつかぬどよめきが起って、突然二十人ちかい一団がわッと風を巻いて森を突き走り出た。でも、踊りの方は全くそっちの事件には素知らぬ気色で相変らず浮れつづけ見物の者もまた、誰ひとり眼もくれようともせず、知って空呆《そらとぼ》けている風だった。弥次馬の追う隙《すき》もなさそうな、全く疾風迅雷の早業で、誰しも事の次第を見届けた者もあるまいが、それにしても群集の気配が余りにも馬耳東風なのがむしろ私は奇態だった。
「一体、今のあれは何の騒動なんだろう。喧嘩《けんか》にしてはどうもおかしいが……」と私は首を傾《かし》げた。すると誰やらが小声で、
「万豊が担がれたんだよ。」といとも不思議なさげにささやいた。
 朧月夜《おぼろづきよ》であった。あの一団が向方の街道を巨大な猪《いのしし》のような物凄さでまっしぐらに駈出してゆくのが窺《うかが》われた。誰ひとりそっちを振向いている者さえなかったが、私の好奇心は一層深まったので、ともかく正体を見定めて来ようと決心して何気なさげにその場を脱けてから、麦畑へ飛び降りるやいなや狐のように前へのめると、やにわに径《みち》も選ばず一直線に畑を突き抜いて、彼らの行手を目指した。街道は白く弓なりに迂廻《うかい》しているので忽《たちま》ち私は彼らの遥《はる》か行手の馬頭観音の祠《ほこら》の傍らに達し、じっと息を殺して蹲《うずくま》ったまま物音の近づくのを待伏せした。突撃の軍馬が押寄せるかのような地響をたてて、間もなく秘密結社の一団は、砂を巻いて私の眼界に大写しとなった。非常な速さで、誰も掛声ひとつ発するものとてもなく、唯不気味な息づかいの荒々しさが一塊《ひとかたまり》となって、丁度機関車の煙突の音と間違うばかりの壮烈なる促音調を響かせながら、一陣の突風と共に私の眼の先をかすめた。見ると連中は挙《こぞ》って鬼や天狗、武者、狐、しおふき等の御面をかむって全くどこの誰とも見境いもつかぬ巧妙無造作な変装ぶりだった。ただひとり彼らの頭上にささげ上げられて鯉のように横たわったまま、悲嘆の苦しみに※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》き返り、滅茶苦茶に虚空を掴《つか》んでいる人物だけが素面で、確《しか》とは見定めもつかなかったが、やはり正銘な万豊の面影だった。その衣服はおそらく途中の嵐で吹飛んでしまったのであろうか、彼は見るも浅ましい裸形のなりで、命かぎりの悲鳴を挙げていた。たしかに何かの言葉を吐いているのだが、支那かアフリカの野蛮人のようなおもむきで、まるきり意味は通じなかった。ただ動物的な断末魔の喚《わめ》きで気狂いとなり、救いを呼ぶのか、憐《あわ》れみを乞《こ》うのか判断もつかぬが、折々ひときわ鋭く五位鷺《ごいさぎ》のような喉を振り絞って余韻もながく叫びあげる声が朧夜の霞を破って凄惨この上もなかった。と、その度《たび》ごとに担ぎ手の腕が一斉に高く上へ伸びきると、逞《たく》ましい万豊の体躯は思い切り高く抛《ほう》りあげられて、その都度空中に様々なるポーズを描出した。徹底的な逆上で硬直した彼の肢体は、一度は鯱《しゃちほこ》のような勇ましさで空を蹴って跳ねあがったかとおもうと、次にはかっぽれの活人形《いきにんぎょう》のような飄逸《ひょういつ》な姿で踊りあがり、また三度目には蝦《えび》のように腰を曲げて、やおら見事な宙返りを打った。そして再び腕の台に転落すると、またもや激流にのった小舟の威勢で見る影もなく、拉《らっ》し去られた、――私は堪
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