一杯載せて、もうすつかり寝沈まつてゐた。光りにすかして見ると、或る屋根の石は人が坐つてゐるやうに逞しいものもあり、鳥の群が休んでゐるやうに数々の石を並べてゐるのもあつた。
提灯の人々が、音無の居る屋根へ昇つて行くのが眺められた。声は、此方が風上だつたから一向にとゞかないが、彼等の物腰で、切りに頑張らうとする音無を促してゐる模様が知れた。――腹を抱へて、大きに笑ふやうな格構をする者、月を指差して「宇宙の神秘」を演説してゐるやうな格構の者、決心の思ひ入れで拳を振つてゐる者達に取りかこまれた音無が、反抗を示してゐる見たいであつたが、やがて、天窓の口から一人宛屋根裏へ落ちて、屋根には三四人の影だけが残つた。それから一人の男が窓口から下を覗いて何やら叫ぶと、屋根の上の男達は一勢に綱を引いて、余程の重量の物を吊り上げにかゝつた。
彼等は米俵を屋根に運びあげてゐるのであつた。――音無の智慧で、それらを重石の代りに使ふのであるらしく、見る/\うちに屋根の上には俵の数々が家畜のやうに並べられた。そして一同の者が、安堵の胸を撫でゝ梯子を伝ひはじめた頃、私は周囲の葦がざわ/\と鳴り出したのに気づいた。いつか月は深い雲の底にかくれて、鈍い光りを投げてゐるだけであつた。
私は、今度こそは、夢や幻でなく、眼のあたりに河口の彼方から砂を巻いた突風が吹きあげて来るのを悟つた。脚もとの川の流れが、逆風に煽られて河下から吹き上げられた空の小舟を翻弄してゐる態が、窺はれた。砂と水煙りの雨が突然私の上に閃光を交へて覆ひかゝつて来た。――空を見あげると、木の葉にからんで指摘することも出来ない無数の片々が、村一帯を擂鉢の底にして吹きあげた見るも巨大な竜巻に煽られて、空一面を狂ひ廻つてゐた。
「あれだけの米俵を載せたとなれば、千貫匁の重石だ。大丈夫/\、あれで飛んだとなれば竜巻村の全滅の日だ。」
「大将、気を鎮めて下さい。さすがの吹雪男も仁王門の椽の下は、嗅ぎ出せぬといふものだよ。――八郎丸を根こそぎ巻きあげて、いよ/\明日はお妙を……」
「お妙を伴れ出して――」
さう云ふ慰めの声援に担がれた音無は、
「俺の帯を離すな。」――「離すと俺は、大枚を持つたまゝ飛んでしまふぞ!」
などと叫びながら、一同にしつかりと手どり脚どりされて、駈ける馬に乗つたよりも速やかに突風を衝いて、私の眼の先をかすめ去つた。奴の手脚が、私も無数の経験を持つ身であつたから瞥見したゞけでもそれと感知出来るのであるが、病の発作が頂点に達してゐると見えて、亀の子のそれのやうに震へて切りと虚空に悶へてゐた。それよりも私は自身の発作を恐れて、夢中で葛籠を降すと、あたふたと鉄兜で頭上を圧へ、紙屑のやうに吹き飛んでしまひさうな五体を、深々と鎧の袖で覆ひ鎮めた。――鎧だけにしては重過ぎると思つてゐたら、葛籠の中には酒徳利やオルゴウルや金袋等が詰つてゐた。私は、大切な書籍をその上に詰めて、再びどつしりと鎧を背中に背負ふと、いつにも覚えたことのない不思議な自信を感じて、ぬつと、葦の繁みの中から大嵐の中へ立ちあがつた。真に、吹雪の精と化した魔力に打たれた。
私は、槍をどうと地に突き、毛靴の脚どりに豪胆な留意を注ぎ、進路を、面あての口腔《くち》から仁王門の森に定めて、きらびやかな突風に逆つた。――吹雪を怖れる伝統の血を持たぬのに、どうして私はあんな病気に罹つたのか? と兼々疑つてゐたが、この時初めて私はその原因に思ひあたつた。それは、単に私が、稀大の業慾者であつたといふことに気づいたのである。
底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「鬼涙村」芝書店
1936(昭和11)年2月25日発行
初出:「中央公論 第四十七巻第九号」中央公論社
1932(昭和7)年8月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年1月17日作成
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