はむしろその家が大きな風巻の翼に呑まれて、木の葉のやうに奈辺の空へなりと吹き飛んでしまふ目醒しさを希望してゐたから、頑として机に凭つては「デビルズ・デイクシヨナリイ」を繰り展げてゐるのであつたが――。
 屋根に鳴る人の脚音で、私は眼を醒した。クリステンダム物語に没頭して、明方も忘れた私は戸閉りをしたまゝの部屋の中で、ランプの光りに照らされながら、椅子に凭つたまゝの姿で思はぬうたゝ寝に襲はれてゐたところであつた。――物語は、佳境の頂上で、勇士セント・アンドリウが、キクロウプスの館に幽閉された美姫ヘレナを救け出す為に翼のあるゼブラに打ちまたがつて、城内深く躍り込んだ三色版の挿絵のある頁が開かれて、私はその上に突つ伏して涎を垂らしてゐた時であつた。そして傍らの「ヒストリイ・オヴ・デビルズ」の辞書は、
「キクロウプス――古代ギリシヤ、ユーリピデスの悲歌《エレジイ》に、はじめて引用されたる怪物の名称なるも、起原は、地中海に出没せるカレドニアの海賊の間に信仰されたるデモーネンの謂なり。この怪物は、巨大な頭の眉間に向日葵のやうな爛々たる一個の目玉を有し、良民にはその姿を識別すること能はざれども、海賊
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