長剣の十字を切つて飾りとなし、身には銀紙を貼つた手製の鎧をつけて、燭灯の光りを頼りに、想ひをいとも「花やかなる武士道」の世界に馳せつゞけてゐた破産者であつた。
 屋根に人の脚音を聞いて、思はず顔を挙げた私は、震へ声で
「現れたな!」
 と唸ると、素早く壁から剣を執り降して、屹と天井を睨めた。最早私は、アンドリウの心を、そのまゝ心として全身の血潮を逆上させてゐたから、即座にネクタアを求めて、|一つ目入道《キクロウプス》の正体を見とゞけてしまはずには居られなかつた。
「ヘレナ――ヘレナ――イオラスの島から、ゼブラの風に乗つて到着した御身の従順なる下僕アンドリウが……」
 勿論応へる声のあらう筈もなかつたが、あちこちの扉の隙間から洩れる陽の箭が縦横に薄闇の部屋うちを走つて、翼のある斑馬が私の傍らに侍してゐると見え、また陽《ひかり》の道がさへぎられて濛ツと煙りが巻いてゐる見たいな廊下の行手には、燭台を翳しておづ/\と私をさしまねいてゐるヘレナの幻が揺曳してゐるのであつた。私は、宙を踏む心地で一条の光りを頼つて、屋根裏の納屋に忍んで行くと、三本の酒徳利が卓子の上で天井裏から洩れる可細い逆光線に半面を照らされてゐるのを発見すると、思はずその下に膝を突いて胸先に厳かな感謝の十字を切つた。
(私の妻は、都の空で私がこれらの家屋敷を売却して獲得するであらう金袋を引つさげて訪れるのを待ち焦れてゐた。このだゞつ広いがらん洞には私の他に同居の者はRとZの二人の若い伯楽だつたが、彼等は近頃急に酒嫌ひになつた私に遠慮して斯様な場所で密かな酒盛を開いてゐたと見えるが、この時は私はそんな推察を回らせたわけではない。)
 二本の酒壜は悉く空虚であつたが、残りの一本を怖る/\ゆすつて見ると、重い液体の揺れる手応へがあつたので――アンドリウは両膝を床に突くと、セラピス教義の儀礼にもとづいて両の掌を胸の上に重ねたまゝ、ヘレナが傾ける銀のジーランドからネクタアの雫を喉に享けた……。
 ――と物語にある、そのまゝの意気で私は、ヘレナのそれに仮想した片手を伸して、素朴な型の貧棒徳利を執りあげると、高く宙に傾けて、こん/\とその滴りを貪つた。
「他人の手に渡るときまつたら、屋根おさへ[#「おさへ」に傍点]にも出ないなんて、あの先生の御了見のほども仲々どうもおそれ入つたものぢやないか。」
「云ふなよ。こちとらは、ど
前へ 次へ
全17ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング