盗賊でもない、私は音無の大尽だよ――突風に外套の翼を煽られて、池に落ちたこの家の持主だよ。」
屋根おさへの石運びを、手下の者に命じたところ、ほんの三つばかりの石を運びあげたかと思ふと彼等はもう怠けはじめて、屋根の上で賭博をはじめてゐるではないか、三つの石でこの家根が圧へられるものか――と思ふと自分は大変心配になつたので、とるものもとりあへず駈けつけたまでは好かつたのだが、梯子を昇り、いざ奴等に罵りを浴せようとして、最初の声を一つ放つたかと思ふと、あまりの亢奮の極自分は上向態にもんどりを打つて池の上に転落したのである……。
「憎い二人も私の姿を見るや大きに慌てゝ、裏の川へ飛び込んだのは胸がすいたが、奴等は私の姿を見出した時、仕事をしてゐる風を装はうとして突然に夫々一つ宛の石を持ちあげて――そのまゝ、石もろともに遁走してしまつたのだ。だから、もう屋根には石は一つより残つてゐない筈だ。――あゝ、案ぜられる、風が出て来さうではないか、屋根が飛んでしまつたら私は、死ぬよりも辛いぞ!」
と音無は震へながら煩悶した。
(では、やはり、あれ[#「あれ」に傍点]は夢だつたか。)
未だ半信半疑だつたが、私は幾分の自信を盛り返したので、
「で、お前さんが今晩は重石の代りとなつて屋根の上で夜を明さうとでも云ふ考へなのかね。」
と気味好く唸つてやつた。
すると音無は、生真面目に深く点頭いて、
「充分の日給を支払ふから、お前さんと、RとZと三人そろつて、今晩中屋根に寝て呉れないかね。吹くか吹かぬか、はかりもされない風の為に夜番を雇ふなどゝは、びつこの馬の札を買つて大穴をねらふ道楽気だが、何としても私は十五人の夜番を屋根へ上げて置かぬ限りは、到底枕を高くして眠れさうもないのだよ。」
と苦悶を続けるので、私は、そつと南の空を窺ふと、卵色に晴れかゝつた空の裾に、鱗雲の片々が見えたから、安心して、
「場合によつては引き受けても好いぜ。」
と答へた。――「同勢も此方で集めようから、給金をおいて行かないか。」
私の部屋には着換への着物もなかつたのでシヤツばかりを幾つも私が雑巾のやうにほうり出すと音無は、夢中でそれを重ね着して、
「未だ寒さうだから、一層あれ[#「あれ」に傍点]を着て行かうか――」
と、柄にもなく赤い顔をして部屋の隅の鎧櫃を指差した。それは大昔の歩兵であつた私の祖先が使用し
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