A僕は、その、楯に乗つて帰りますよ。」
(だが、斯んな法螺を吹いて好いかしら、来月あたりは、もう高輪の家をほうり出されるかも知れないぞ、あゝ、怖しい/\、行きどころが無くなるなんて!)
「うん。」と、母は、点頭いた。彼は、益々調子づいて、
「楯に乗るといふことは、目出度い話なんですよ、その話を、阿母さんは知つてゐる、スパルタのさ。」
「好く知らない。」と、母は、一寸薄気味悪るさうに首を振つた。――彼は、簡単に、多少の出たら目を含めた古代スパルタの歴史を説明してから、
「即ち、生きて帰るな、花々しく戦場の露となれ、生きて帰れば、汝の母は泣くぞよ――といふわけなのさ――その、楯に乗りて云々といふ一言がですなア! ハヽヽ、どうです、偉いでせう、僕は――」などと、彼は、何の辻棲も合はぬ、夢にもないことをペラペラとまくしたてた。
「日本にだつて、そんな語はいくらもあるよ、そんなスパルタなんぞでなくつたつて。」
 母は、楠正行の母にでもなつた気で、他合もなく恍惚として――彼を、悲しませた。
 ともかく、この夜の彼等は、異様に朗らかな二人の母と子であつた。
(お蔭膳のオミキか!)と、また彼は、これが
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