煌T念的な冷淡さに片附けておくのみであつた。……彼が、そんな思ひに耽つてゐる時、丁度彼女は、
「そりやア、もう私は……」
 そりやア、もう私は? とは? ……と、この仲々彼女などには敗けてゐないつもりの鸚鵡のやうな婿の胸に繰り反させて、
「そりやア、もう私は、斯ういふ人間だから――」と云つた。「他人の事となると……」などと云ひながら、膳の上の食物を指でつまんで、具合の悪い入歯でニヤグ/\と噛んでゐた。
「ほんとうに、子供達に対しては親切だなア……羨しいやうだよ。」
 そんな風に彼が雷同すると、多少の嘲笑が含まれてゐても、それには気づかず、自分の讚められることだけには案外素直で、子供らしい彼女は、身をもつて点頭くのであつた。
「お前なんて、貧棒こそしなかつたらうが、相当これで人知れぬ苦労が多かつたらうからな!」と云つて、また彼の母を遠回しに批難するのであつた。と、ウマク彼女の穽に陥つて他合もなく彼は、胸がグツとするのであつたが、我慢して「さうとも/\、貧棒はしなかつたとは云ふものゝ、何も贅沢をしてゐた訳ぢやなしさ……賢太郎なんかの方が、反つて幸福だよ。」
 彼も体全体で点頭いたりするのであつた。この相手に、おもねる為に彼はさう云つたのであるが、云つて見ればこれも偽りではないやうに思へた。
 彼女は、他合もなく悦んだ。――「まつたく私ア、子供には心配をかけたことはないからな、気苦労だけは――」
 どんな範囲で彼女が、さう云ふのか解らなかつたが、彼の知つてゐる二三の実際的のことで見れば、この彼女の言葉は彼れには嘘としか思へなかつた。周子と一つ違ひの姉の賢子は、行衛不明だつた。父親のない赤児を伴れて暫く帰つてゐたが、母親に僅かばかりの所持金を費消されてしまつて、と急に母親は彼女を冷遇し始めて、いつか賢子から彼が聞いたのであるが、妻子があつたつて何だつて関はないから成るべく金のありさうな男を引ツ掛けろ! とか、カフエーの女給になれ! とか、と、この母に似てずんぐりした姿の醜ひ賢子に命ずるのだといふ話だつた。そして到々「死ぬなら死んでしまへ。」と云つて追ひ出したのださうだ。賢子は、赤児を置いて出掛けた限り戻らなかつた。
 面を見るのも厭だ! などと云ひながら母親は、赤児をぞんざいに世話をしてゐた。彼女は、飯よりも菓子が好きで、それがなくなると急に不機嫌になつて、赤児の頬ツぺたを抓つたりするといふ話だつた。優しい賢太郎が、大変困つて、電報配達になつてついこの間まで彼女を養つてゐたさうである。
「お前なんか、いくら働きがないと云つたつて未だ/\安心ぢやないか、家の親爺なんか……」と彼女が、調子づいて何か云はうとすると、
「お母さん。」と、傍から賢太郎が、たしなめた。
「僕だつて、子供ぢやないんだからなア。」
「さうとも/\、立派なお父さんぢやアないかよう。」
 斯んな風に彼女を、悦ばせて彼は、悠々としてゐたかと思ふと、急に山羊のやうに哀れな声を振り絞つて、自分には実際的には何の働きもないし、徒らに齢ばかり重ねて、この先き一体どうなることやら、自分のやうな人間が一朝にして貧乏人になつてしまつたら、それこそ水に浮んだ徳利も同様だ――。
「あゝ!」などと女々しい溜息を衝いて、忽ち彼女の顔から、にやにや[#「にやにや」に傍点]を奪つて、その心を白くさせてやつたりした。さういふことを云ふと彼女は、見事に早変りをして、娘を売物にしてゐる悪婆のやうに冷淡になるのであつた。そして若し、彼がこの時後架にでも立たうものなら、狭い家だから聞えるのである、そこで子供等と遊んでゐる彼の四歳になつたばかりの英一を指差して、
「この子は、うちの子供達と違つて、悧口だぞう――、あの顔の大きいこと……」などと憎々しく呟いだ。悧口だぞう! は勿論悪意だつた。
 後架から戻つて来ると彼は、また七面鳥になつて、
「何アに、△△の土地だつて未だ残つてゐるんだ、近いうちにあいつを一番手放しさへすれば……」
 そんな風に、止せばいゝのに思慮ある肚の太い実業家が何事かを決心したやうに唸つたりした。――すると、また彼女も、彼の予期通りに、忽ち笑顔に返つて、
「しつかりおしよう、タキノやア。」と、薄気味の悪い猫なで声を出して――まつたく、斯んな種類の中婆アさんといふものがある[#「ある」に傍点]んだな! と、彼を変に感心させて、
「お前さへしつかりしてゐれば、大丈夫だよう、いくつだと思ふのさ、ほんとにお前はよう……ほんとうなら阿母さんは、クヽヽヽヽ。」と彼の悪感をそゝる意味あり気な忍び笑ひをはさんで「クヽヽヽヽ、もう隠居なんぢやないかねえ、クツクツク……、お前は未だカラ子供なんだねえ、なんにもクヨクヨすることなんて、ありやアしないぢやアないかねえ……」
 その声色が、見る見る飴のやうに甘く伸び
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