「これは俺が、持つて行くんだ、自分で持つて行くんだ。」
「ふざけるのは止して下さいよ、折角積んだものを――。何さ。そんなガラクタ!」
 彼は、むきになつて、歯ぎしりして女の頬つぺたを抓つたりした。
「べら棒奴!」などと、彼は不平さうに云つた。――「玩具になんぞされて堪るものか。」
 賢太郎は、困つた顔をして階下に降りて行つた。一体周子の、弟や妹たちは十代の子供ではあるが、他人の物も自分の物も見境ひのない性質だつた。彼が留守だと、その机の抽出をあけて書簡箋にいたづら書きをしたり、悪意ではないんだが、他人から借りた物は返し忘れて紛失させたりして平気だつた。
「冗談ぢやない!」と周子は云つた。そして、彼の言葉に卑屈な針が潜んでゐるやうに感じた彼女は、
「ケチ!」と、附け加へた。
 彼は、故意に、なかのものがこわれやアしないか、といふやうに疑り深い眼を輝かせて、蔭にかくれて秘かに蓋をあけて見たりした。――実は彼自身、今まで押入れの隅に放り込んだまゝ、すつかり忘れてゐたのだつたが、斯んな場合に強ひてゞも、そんな真似がして見たかつたのである。自分にだつて「秘蔵の物」「他人の手に触れられたくないもの」「いくら斯んなに蕪雑な生活をしてゐたつて、これ程の予猶もあるんだ。」――見得で、そのやうな意気を示し、これが意地悪るのつもりで、さつき起きてから彼女等に出し抜かれて応へやうもない鬱憤の代りに過ぎなかつたのである。
「何んなものであらうと自分のものには、夫々自分の息が通つてゐるんだからね、困るんだ、矢鱈にされては――。物品を、ぞんざいに取り扱ふ奴は、皆な碌でなしだ。」
 彼は、さう云つて周子の胸を衝いた。周子は、答へずに、
「遅くなるツてエば!」と、焦れた。
「先へ行つたら好いぢやないか。俺は、未だいろいろ用もあるんだ。」
 彼はそんなことを云ひながら、悠々と風呂敷をはらつて、学生時分に独りで、海辺の家で日毎吹奏したことのあるコルネツトを、久し振りに口にあてゝ、音は発せずに、仔細に具合を験べるやうな手つきをした。
「触つたらう? こゝのところが、どうも湿つてゐる。」
「触れと云つたつて、触りませんよ。そんなもの、馬鹿/\しい!」
「俺は、子供の時分から、何か知ら座右に独りだけで愛惜する物品がないと、寂しかつたんだ――、今でも、勿論さうなんだが――」
「この頃、何だか、酔はない時でも酔つ払ひ見たいだ!」
「対照の物は、常に変つてゐた、或る時は何、或る時は何といふやうに、だが、その心持は常に……」
 彼は、ぶつぶつ云ひながらラツパをまたもとの通りに丁寧に包んだり、トランクを引き寄せて、塵を吹いたりした。――みんな、彼が何時かヲダハラから、今の通りに芝居沁みた考へで、持つて来たゞけで、つい今まで手も触れずにゐた、現在の彼にとつては毛程の興味もない過去のセンチメンタルな「秘蔵品」なのである。――周子の前では開かなかつたが、その中には、ミス・Fから貰つたオペラ・グラスとか、同人雑誌に「凸面鏡」などといふ題名の失恋小説を書いた頃、参考の為に集めた十二三枚の小さな凸面鏡と凹面鏡や、やはりその頃、生家の物置に忍んで昔のツヾラの中から探し出した価打のない古鏡とか、玩具の顕微鏡とか、昔の望遠鏡とか、父が昔アメリカから持ち帰つたおそろしく旧式なピストルで、今ではもうすつかり錆びついてゐて決して使用には堪へぬものとか、同じく父の二三個のマドロス・パイプとか、子供の時母の箪笥から拾ひ出したのが、小箱に入つてその儘残つてゐた数個の玉虫とか、蓋の裏側にミス・Fの写真が貼りつけてあるゼンマイの切れた懐中時計とか、二十年も前に父のアメリカの友達から貰つたのだが、今でもネジを巻くと微かに鳴るオルゴール・ボツクスとか、父が蹴球仕合で獲得した、あまり名の知られてゐないアメリカ何とか大学の銅製カツプとか――、以上十二種の他、未だ之れに類する五六種の愚劣な廃物が蔵つてあつた。古くからそのトランクには、そんなものが詰まつてゐたのだ。大火の時誰が、これをさげ出したのだらう? ――彼は、そんなことを思ひながらこの頃一切コレクシヨン嫌ひに陥つてゐる心を、目醒してやらう。といふ程のたはれ気で、重たい思ひを忍んで持ち出して来たのであつたが、汽車を降りる時には、もう少しで置き忘れて来るところであつた。
「ほんとうに、自分で持つて行くの?」
「さうも行かないかなア?」
 思はず彼は、さう云つて笑ひ出してしまつた。彼は、冷汗を覚えてゐた。――「屑屋にでも売つてしまへよ。」
「暇がありませんよ。」と、なだめるやうに周子は云つた。

[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]

「七草過ぎなければ、とても出来ないんですツて! あたし今も建具屋を二三軒きいて来たんですけれど、皆な同じなのよ、困つたわね、辛棒出来る?」
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