Sし給へ、ヘンリー……と、斯う彼に呼びかけたいものだな。あなたの何時かの言葉を一寸拝借して見る――「俺の真似をされては困るぜ、シン! 貴様には、阿母を責める資格はないんだよ。」
「そんなことは解つてゐるよ。」
「縦令、阿母にどんな落度があらうとも――だぜ。」
「変なことばかり云ふなア、阿父さんは。どうしたのよう。」
「お前が阿母に逆らへば、何と云つたつて俺ア阿母の味方だぜ、ハヽヽヽ。」
「ハヽヽヽ、羨しいや、お蝶が嫉妬《やきもち》をやきはしないの?」
「好い気なもんだなア、俺は、さア!」
「まつたくだね、――変な女! お蝶だよ、阿母さんぢやないよ。」
「馬鹿ア、そんなことはどうでも好いよ。自分は、どうでえ!」
「ハヽヽ、周子かね。」
「ハヽヽ、周子さんと、トン子さんかね。」
「ハヽヽ、困つたね。」
「英一は、いくつだ。」
「三つさ。」
「ぢや俺が、丁度貴様と別れて外国へ行つた年だな!」
「あゝ、僕も行きたい、僕も行きたい!」――(忘れやアしないよ、阿父さん、阿母は、屹度大切にしますよ、ハヽヽヽ――)
「阿母さん! 僕は、今までだつて別段贅沢をしたわけぢやないが、この先きだつて……、ホラ、よく岡村のおばアさんが云つたこと、あの……その、人間は――だね。」と、彼は、ゴクリと酒を飲んで「人間は、その――乞食と泥棒さへ……」と、云ひかけた時、胸が怪しく震へた。「……さへ、しなければ――さへ、しなければ、でしたかね? フヽヽヽ!」
「さうとも。」
「……さへ、しなければ、何の人に恥ずるところはない、ボロを纏はうとも、でしたな。」
「乞食と泥棒と、そして――」と、母は、一寸と気恥し気に笑つた。「親不孝と――」
「あゝ、さう、さうその三つでしたね。」
それだけかな? などと思ひながら彼は、荒唐無稽の幼稚な例へ話を笑ふやうに、笑つたが、喉を落ちて行く酒の雫に、雨だれのやうに冷く胸を打たれた。……「味噌と醤油と米と、そして薪さへあれば――とも云つたね、岡村のおばアさんがさア?」
「戦争の時の話だらう。」と、一寸母は煩ささうに云つた。
「さうぢやないよ、普段でも、だよ。それだけあれば不自由はない――とかさ。」
「そんなことを知つてゐながらお前は、どうさ?」と、母は苦笑した。
「直ぐさう云つてしまつてはお終ひだよ。僕は、何もそんなおばアさんの言葉に感心して居るわけぢやあるまいし、寧ろ、
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