げたり、ブルブルツと、幽霊のやうに手や脚を震はせたり、うねうねと体を伸縮させたりした。
周子も、その母も、肚を抱えて笑つた。そして彼は、この運動の合間に、掛声のやうに見せかけて、鬱憤の洩し時は、こゝぞと云はんばかりに力を込めて、
「Devil−Fish!」と、叫んだ。
「アツハツハツハツハ。」
「デビル・フヰツシユツて、烏賊のことなの?」と、周子が訊ねた。彼女は、自分の母の前で彼が気嫌の好いのを悦んでゐた。
「……何しろデビル・フヰツシユぢや食へないんださうだ。」
彼女は、彼がもう酔ひ過ぎてわけの解らぬことを云ひ初めた、と思つた。
これは、嘗て彼が、父から説明を聞いた英語であつた。ある種の紅毛人は、章魚、烏賊、鮟鱇などの魚類を、俗に「|悪魔の魚《デビル・フヰツシユ》」と称して、食膳にのぼすことを厭ふといふ話だつた。――彼は、周子の母を鮟鱇に例へ、己れを或る種の紅毛人になぞらへて見たりしたのであつた。
「うちの阿母は?」と、彼は、思はず呟いで、同じやうな不味《まず》さを覚えた。その時彼は、周子とその母の眼が、不気味に光つたのを感じてヒヤリとした。……(鮟鱇と烏賊の相違位ひのものかね、フ……)
彼は、間の抜けた笑ひを浮べた。……(俺も、俺も……)
「ぢや、ひとつ今度は、章魚踊りをやつて見ようか。」
周子の母が、何か云ひかけようとした時彼は、斯う云つて、厭々ながらひよろ/\と立ちあがつた。
「キヤツ、キヤツ、キヤツ――タキノは、仲々隅には置けない通人だよう。普段は、あんまり口数も利かないけれど、酔ふとまア何て面白い子だらう。」
そんなことを云ひながら周子の母は、火鉢に凭りかゝつて、指先きで何か膳の上のものをつまんだり、チビチビと盃を舐めたりしてゐた。
「いくらか痩せてゐるだけで、やつぱり斯うやつて見ると、阿父さんにそつくりだわね、ねえ、お母さん。」
周子は、母親に凭り添つて、母に甘へる笑ひを浮べながら彼を見あげてゐた。
彼等は、夜毎、このアバラ屋で、彼様に花やかな長夜の宴を張るやうになつた。
[#5字下げ]六[#「六」は中見出し]
三月上旬、彼の父の一周忌の法事が、ヲダハラの彼の母の家で、さゝやかに営まれた。遅くも二日位ひ前には帰る筈だつた施主即ち彼は、当日の午頃になつて、のこのこと招かれた客のやうに気取つて、妻子を随へて戻つて来た。別段彼は、母に
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