つて三方の幕を降してしまつた。
「これぢや勉強が出来ないでせう。」
「いや、そんなことは心配しないでもいゝさ。」
彼は、さういふより他はなかつた。勿論、この寒さに、この吹きツさらしの二階などに籠つてゐることは、どんなに彼が「アブノルマルの興味」を主張すべく努めても、第一寒くてやり切れないのだが、まア仕方が無いとあきらめたのである。
階下は、割合に広かつた。尤も、この二階と、下の二間は古い母屋にくツつけて、三年も前に建てかけたのであるが、その儘で完成させなかつたのである。母屋の方だつて、地震に遇つた儘何の手入れも施してなかつたから、唐紙は動かず、壁は悉くひゞ割れてゐた。彼が、周子と結婚した当座、半年ばかり二人だけで母屋の方に住んだ。さうだ、三年ぢやない、建増しをしかけたのはその時分のことだつたから。――英一は、もう四歳になつてゐる。
その頃、この家が彼の「名儀」のものであるといふことを彼は、たしか周子から聞いて、名儀とは何か? と思つたことがあつた。
「抵当なんですツて!」
「へえ、シホらしいね。だが俺の名儀だなんて怪《おか》しいぢやないか?」
「さうね。」
彼は、こういふことに就いても相当の思慮があるんだといふ風に云つた。「石原が金を持つて来たのは、ぢや、それだな? 三千円――此方が欲しいや。」
「ほんとにね。」
間もなく彼女の一家が、大崎からこゝへ移つて来た。彼は、彼女の母と(何でも彼女の母が彼のことを、ケチだ! と云つたり、威張つてゐる! と称したり、彼の母のことを、息子に対して冷淡だ! などと彼を煽てるやうに云つたり、一度位ひ来るのが当り前ぢやないか! と批難したり、彼の父が、一度訪れた時、大変景気の好さゝうな法螺を吹いて、泊りはしなかつたのに「さんざツぱら酒を飲んで」、帰る時に小供に小使ひ一つ与へなかつた、「田舎の人は、やつぱり呑気だねえ、お前エらお父ツちやんは、屹度永生きをするだらうよウ、お前エは幸福《しあはせ》だよウ。」などと云つて、遠回しな厭味を述べたり――)、醜い云ひ争ひをして、ヲダハラへ移つてしまつた。ヲダハラではまた彼は、自分の両親と醜い云ひ争ひをして、間もなく伊豆の方へ逃げ伸び、山蔭の、畑の見張り番でも住みさうな茅屋に一年も住んだ。
父が死んでから間もなく、彼が東京・牛込に間借りをしてゐた頃、周子の母が来て、
「ほんとうに、親類ほど
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