な人がゐると、随分好いわねえ!」
「さア、こん度は二階だ/\。」
賢太郎は、勇ましい声を挙げながら梯子投を駆けあがつた。
「そんなに突然行つても差支へないのか?」
彼は、未だふくれツ面をしてゐた。彼女の家では、未だ何も知らないのである。たゞ彼等の英一が二三日前から預けられてゐたゞけだつた。
「そんなこと関やしないわよ。」
彼は、観念して、帽子もかぶらずに外へ出かけた。こゝに来てから、家のことでいろいろ厄介になつた二三町先きの友達の家へ、息を切つて駆け込んだ。
いろいろ家族の人達に礼を云ふつもりだつたが、彼は、友達の顔を見ると同時に、たゞ「引ツ越し……」と、だけしか云へなかつた。
「君が!」
「弱つちやツた。何でも僕が、昨夜、酔ツ払つて、賛成したらしいんだね。今、起きて見たらもうあらかた片附いてゐるのさ、あゝ、困ツた/\――芝・高輪の女房の家なんだがね、その行先きといふのは――。行かないうちから解つてゐるんだ、チヨツ! チヨツ! あゝ、――」
「…………」
「そもそも、その女房の家の……。……アツと、失敬、そんなことを云ひに来たわけぢやないんだよ、チヨツ、逆上《のぼせ》てゐやアがる、兎に角、斯う急ぢや、どうすることも出来ないんだ、あゝ、何といふ落つきのないことだらう、僕の村のローカル・カラー? いや、失敬、ぢや、さよならア!」
彼が、また慌てゝ引き返して来ると(友達の処へ行つてから急に彼は、当り前の引ツ越しする者らしい働き手の心になつてゐた。)、もう荷物は全部、一台の貨物自動車に楽々と積み込まれてゐた。
「さア働くぞ、さア、さア。」
彼は、さう云つて羽織を脱いだりした。
「狡いわね、お終ひになつたところに帰つて来て……」
賢太郎は、人の好い笑ひを浮べて、女のやうに彼を睨めた。
彼は、慌てゝ二階へ駆け上つたり、何にも残つてゐない押入を開けたり閉めたりした。……「自分で片附けなければ、困るんだよ、いろいろ。」
そして彼は、舌を鳴らしながら、夢のやうにガランとしてしまつた部屋の中を歩き廻つて、清々とした。――ひとりで、この儘此処に残らうかな! そんなことを思つた。
「小さいトランクがあつたらう、そして風呂敷に包んだラツパがあつたらう、鍵の掛つてゐる箱があつたらうそれから……」
彼は、自動車に飛びついて、風呂敷包みや、古ぼけたトランクを取り降したりした。
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