つきだよ、あゝもう焦れツたい、月だつてオデンだつて何だつて関《かま》はないから、早く水を呉れ/\/\。」
 私は、そんなことを呟いだ。――さつき藤村に起されたと思つたのも夢だつたのか?
「おい、もう好い加減に起ろよ、出掛けようぜ。素晴しい天気だよ。」
 藤村は、一寸焦れて私の肩をゆすつたので私は、初めて目が醒めた。――夢で思つた通りに綺麗な天気であつた。いや、さつき一度眼を醒まして、知らずにまた眠つたのだらう。
「随分、好く眠るなア!」
 藤村は、あきれたやうに笑つた。
「口をあいてゐたらう。」
 そんな気がしたので私は、先を越すやうに訊ねた。
「お互ひに馬鹿だね。」と、藤村は笑つた。
 暫くぶりの好天気で私達は、一寸アツ気[#「アツ気」に傍点]にとられたやうだつた。――私達は、胸を拡げながら海辺を歩いた。古い徒手体操の号令に、前腕を平らに動かせ、と称ふのがあつた、そのやうに藤村は、両腕をギクギクと曲げたり伸したりしながら意気揚々のかたちで歩いた。
「斯うして俺達が歩いてゐる姿は、如何しても優等学生が勉強の合間に散歩に出たかたちだね……」
「前途有望な二人の青年……」
「止してくれ、気がとがめるから……だが、ひとつ俺達も一番改心して、何かの研究でも初めようぢやないか。」
 ふざけたやうに、だが殊の他心は塞がれてゐる調子で藤村は、そんなことを云つた。
「…………」
 云へば私は、何時ものとほり安価にふざけるより他に術がなかつた。
「暫く運動しなかつたので――山を見あげても、海を見おろしても、眼が眩む……二三日は散歩以外の遊びは出来さうもないね。」
「ぢやア空を見あげたら如何だらう!」
 私は、そんなことを云つて仰山に青い空を見あげたりした。
「おい、止せ/\。斯んなところで……」
 立ち止まつた私を藤村は、慌てゝ促した。私達は、山に迫られ、一歩《ひとあし》ごとに海が奈落になつて行く崖、潮見崎へ行く細道をつどうてゐた。暫くぶりの晴れた日の為だつたか、私達は、つい見慣れぬ風景に心を惹かれたのだつたらう、別段相談もしなかつたのであるが、ひとりでに脚がそつちへ向いたのである。
 西側の山からは、いつもの音響が、その日は晴々しく響いてゐた。
 トンネルに差しかゝつた頃はもう私達は、話もなくなつてたゞ漫然と脚をひきずツてゐた。
 そこを抜けると私達は、決められた者のやうに欄干《て
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