めての探勝を試みた日は、アジロ通ひのガタ馬車が円かなラッパの音を撒きちらしながら戛々《かつ/\》と走つてゐた麗らかな夏の朝であつた。
「三日間、ジュンと一処に送つたら病気になつてしまふだらう、ワタシは。」
「僕は、いつも云ふ通り散歩は嫌ひなんだよ、第一どんなに立派な景色を見ても、さつぱり面白くないんでね。」
「それは自分の国の見慣れた景色だから、さう思ふんではなからうか?」
「いや違ふんだ、僕は、嘗て旅行もしたことはないし、この町にだけは何遍か来たことはあるんだが、あの岬の先きまでも行つたことはないんだ、何時でも進んで留守居番だけを引受け通したよ。」
「あはれな案内者ですね。」
「おや/\、いつの間に案内者にされたのかね。唖の案内者を伴れて歩くなんて随分君も物好きな人だよ。」
「ホッホッホ……」
「だがね、唖だと云つてもあまり軽く見て貰はれると僕は、迷惑するんだ。」
 私達は、ともかく愉快な気持で、そんな他愛もない会話を取り換しながら夫々杖を曳いて、山を見あげたり海を見降したりしながら一筋の崖道を歩いてゐた。
「ほんたうに――」
 私は、半分ふざけた口調で、だが妙な力を込めて思はせ振りな笑ひを浮べた。相手の語調に合せる為に此方の言葉も気持も芝居でも演つてゐるほどなギゴチなさになつてゐるのが、反つて私の心を明るく無責任におどけさせて、婦人に対する羞恥心を紛らせるのであつた。若し私が、自分と同種族の美女と語らふ場合があるとすれば私は、大人らしい引込み思案で、非常な唖になる筈だつた。――彼女には私は、割合に大胆だつた。臆測、邪推、因循な遠慮、言葉の表裏――それらの不純粋に慣らされてゐた私が、彼女を軽蔑してゐるわけではなかつたが、それらの感情からは見事に救はれてゐる気がするのであつた。
「迷惑《トラブルサム》? ぢやお前の胸にはいつも何かの計画《プログラム》があるの?」
 彼女は、私のことを、ジユンと称んだり、アナタと云つたり、お前と呼んだり、時にはキミなどゝ云ふこともあつた。
「プログラムだつて?」
 うつかり私は、顔を赤くした。私は、決して彼女の前で英語を用ひたことがなかつた、用ひたくても不得意であつたし――。で私は、往々彼女の言葉の間にはさまれる英単語や英動詞を誤解して、あらぬ苦悶を強ひられる場合もあるんだが、この時は、お前は私に恋をしてゐるんだらう、ハッハッハ、と笑
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