癪に触つたから門口の扉を滅茶苦茶に叩きのめした、ところが昨日のあの雨で水嵩の増した水車の勢ひが目の廻るやうな凄じさだ、俺の騒ぎなんて聞へればこそだ、俺は気狂ひのやうに暴れた、水車のしぶきが雨のやうに頭から降りかゝつて俺は何だか勇ましい芝居でもしてゐるやうな好い心地になつて、戦つた、格闘した、角力をとつた、月の光りを浴びながら、クルクル回る水車の影を相手に――、そして、目が廻つて、げんげの花盛りの田の中に、悶絶した……それ合唱だ!
「恋に焦れて悶ふるやうに、恋に焦れて悶ふるやうに――」
 常連は手拍子、足拍子をそろへて喉も張り裂けよとばかりに高唱した。
「あの娘が呉れた紅苺を――」
 今度は村長が身振りよろしく歌ひ出した。
「うつかり喰べたら毒だつた……苦しい/\堪らない、手あたり次第に掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]り、噛み齧つては七転八倒、悶え悶えて跳ね狂ひ、甲斐なく萎れて倒れしは――」
 合唱「恋に焦れて悶ふるやうに……」
 その村長は、つい此間まで街の歌妓に現を抜かして通ひ詰めてゐたのであるが、いつの間にか財産を倒尽し、名誉職から失墜して、加《おま》けに歌妓には逃げられ――悶々の情遣方なく此の酒場で毎夜憂さを晴してゐる気の毒な身であつた。あまり真に迫つた歌をうたつたので一同は稍《やゝ》暫らく同情の眼蓋を伏せた。
「俺は世の中の人間といふ人間は大概まあ破れかぶれの気持で生きてゐるんぢやないかと思ふんだが、何うだらう。」
 執達吏が変に沁々とした調子で斯んなことを呟いたりした。「たゞ、その破れかぶれなりのかたちが千差万別といふわけぢやないんだらうか。」
 そして彼は、酒注台に凭りかゝつて凝つと何か物思ひに耽つてゐる私の方を振り向いて同意を求めるやうな眼つきをしたので私は、即坐に、
「冗談ぢやない――」と否定した。彼は、この一年位ひの間凡そ二三十回も私の住家に通ひ詰めたであらう。そして、気の毒だ/\と呟きながら、其家のあらゆるものに「差押へ」の赤札を貼つたのである。彼と私は、その度に赤い顔を見合せ苦笑を浮べる毎に、親密さを増して来たのであつた。彼は、村長とも私と同じやうな動機で友達となり、そして、その役目の帰途夕暮時になり、私や村長の案内で此の酒場の常連になつたのである。
 私が、その家を出て、この村に移つた時には、二つとも私の書斎に永い間壁飾りと
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