き、怖れ、感謝して、永遠の幸福を祈りました。……この迷信がギリシヤに渡ると、ホーマーもソクラテスもプラトンも、アナクレオンも、そしてアリストテレイスも、夫々の立場に従つて或ひはこれを詩にうたひ、その神性を講義して合掌し、或ひは実有科学論に依つて証明し――といふ風に様々な人々に依つて歌はれ、研究され、崇拝せられて、終ひには悲劇の素材とされて、運命論者の独白となり、ある喜劇の中では、星占博士と物理博士とがテテツクス論で火花を散らし五十年の間争ひ続けた儘、最後を遂げることになつたり、また幻の如く忽ち来ては忽ち去つて行くテテツクスよ、露より他に吸はぬといふならば、私はお前に何を与へたら好からうか、決して私は拒みはせぬからお前の欲しいものは何でも彼でも私の胸の倉から自由に持つて行つてお呉れよ、この世の上で相見る間は何んなにか短かゝらうとも、お前の歌はフエニキアの海賊が発見した東天の星と同じく決して私の眼の先からは消えはせぬ、そして私はお前がアポロに告げる私の歌が、幸ひに富むことを祈つて止まぬ――ところ/″\に斯んな風な極めて感傷的な合唱章をさしはさんだ百スタンザから成るほどの長い/\俗歌が一度びアテナイの一|哀歌詩人《エレヂスト》に依つて歌はれると、見る間に怖ろしい伝波の翼に乗つて、北はテツサリイを越へて大陸へ、またはイオニアの海を渡つてローマ帝国へ、黒海を胯いで東方諸国へ――忽ちのうちに津々浦々までもひろまりました。
 遠く Khufu 王の御代に源を発し、五千年の歳月の空を飛んで或夜私は、テテツクスの夢を見ました。オリムパスの山を目がけて、まつしぐらに飛んでゐる一尾の蝉であります。耳を澄ますと彼女の翅ばたきの音が言葉になつて聞えるのです。
(若しもあの男が自分でつくつた歌を自分で歌ふことが出来たならば、あの男が犯してゐる凡ゆる罪を許してやるのだがな……)
 諸君一体私は何んな罪を犯してゐるのでせう、……」
 この辺まで歌つて来ると私の目の前は、にわかにぐる/\と回転し出して危く昏倒しさうになりました。――「で、私のあの折々の憂ひを含んだ表情は……自ら犯したと云はるゝが知る由もない罪を探つてゐるのではない……間もなく訪れるであらう、テテツクスの季節が案ぜられるのだ……」
 私の声色は激流に乗り出して、次第に当り前の演説口調になりかゝつた。すると連中は涌き出して、「恋に焦れて
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