私は、習慣になつてゐる目醒めの悪い愚図を鳴らすのを堪えた。
 私は、この間あれだけの甘さを持つてゐた柿がシブくなつてゐるはずはないといふことや、それにしても試して見る術がないので困ること、棄てた柿がもう黄色くなつて腐つてゐるだらう――そんなことばかりを考へながら眠つた。
 それから幾日かたつてのことである。
 月夜には、未だ間があつた。
 何処の柿もみんな青かつたのに、庭隅の大々丸と称ふ柿だけが奇妙な薄黄色を帯びて来た。この木には数へられるほどの実がなるだけだつたが、何処の柿より質が好くて、十三夜までおくと夏蜜柑ほどの大きさに熟るのであつた。祖母は、十三夜の供物にするまではこれには一つも手をつけないのが習慣だつた。
 まだ鴉や虫がつく頃でもないのに如何したのかしら? と祖母は、不思議に思つて丈の低い樹なので好く好くあらためて見ると、何の実にもほんの少しずつの傷が負はされてゐた。そして薄黄色を帯びた悉くの果実の皮膚は光沢と弾力を失つてゐた。一層好くあらためて見ると、その傷はたしかに人間の歯型の痕だつた。
 私が或る日、一番登りやすいこの木に秘かに登つて、なつてゐるまゝで一つ一つのシブ味を
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