験して見たのであつた。あれも、これもと苛々して試したのであるが、悉く惨めにシブかつた。私は、唾を吐きながら、ぼんやりして木を降りた。
 私は、木にあるまゝなのだから斯うして置いてもその儘柿は成熟するだらう――と最初から思つてゐたのである。
 あの奇蹟のやうな「月夜と柿の渋の話」を私は、まつたく信じた。
 甘味が漸くついたけれど未だ青々としてゐる他の木の柿が十五夜に供へられた時分には大々丸は無気味に赤くうんでしまつた。碧く晴れた空に季《とき》ならぬときに色づいた此処の柿だけが、風鈴の赤い硝子玉のやうにくつきりと浮んでゐた。
 間もなく小雨が降ると風もあたらないのに此処の柿は、ボタボタと地面におちて醜くゝ潰れた。石の上におちて、力一杯叩きつけられたものゝやうにグツシヤリと潰れてゐるのがあつた。石灯籠の蓋《かさ》にあたつて花火のやうに飛び散つてゐるのがあつた。泉水の汀の苔石の上に、赤児の糞にも見紛ぎらしいのがあつた。
 唖の国さんが、掃除をするのを面倒がつて軽く枝をゆすると、残りの柿は他合もなくいち時に落ちて醜悪な音がした。[#地から1字上げ](一五年・四月)



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「中央公論 第四十一巻第五号」中央公論社
   1926(大正15)年5月1日発行
初出:「中央公論 第四十一巻第五号」中央公論社
   1926(大正15)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
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