、その時は、この前のお月夜のうちだつたんだよ。お前はそんなことにも気がつかなかつたのか?」と祖母は、私の強情を折つた。
そんな話は、祖母らしい単なる童話的のものに過ぎない、と私は思はずには居られなかつた。でなければ、柿の実を、点いたり消えたりする灯りにでもなぞらへるより他はなかつた、私の想ひでは――。
「そんなに早くから柿などを喰べる馬鹿はない、勿体ないことだ!」
案の条祖母は、さう云つた。そして樹木の生命を説いた。熟らぬ果物を無駄にすることが如何に罪深い悪徳であるか! といふことを因果に律して物語つた。――だから自分には「月夜と柿の渋の話」が実際とは思へないのであるが、別に、祖母の宗教的な訓話は常々から体得させられてゐた。そして、怖ろしかつた。私は、近所の子供達のやうに熟らぬ果物に手を出したりするやうな悪戯は、決して行つたことはなかつた。
余程思ひ切つた上で自分は、今祖母に、この間一寸と喰べて見た! といふことを告げたのである。疑ひを晴すために、青い実をもぎとつて噛んで見たのであるが、その時は確かに渋くはなかつた。だが、甘味もなかつたし喰べつゞける元気は持てなかつたので、眼を瞑つて、藪の奥へ投げ棄てたのである。祖母は、喰べるためにとつた果物が喰べられずに棄てなければならない時には、果物に向つて人に物を言ふ如くに謝罪して、芽が出る時を待つといふやうな励ましまで述べて、成仏させるのが常習だつた。その仰山な言棄を嗤ふ者もあつたが、私は嗤へぬやうに心から訓練されてゐた。
苦い顔はするだらうが、実際としての「月夜と柿の渋の話」は取り消して、それを冷い訓話に換へるだらう――と私は思つたのであるが祖母は、頑として、
「だから、その時は未だお月夜のうちだつたんだよ。」と云ひ放つばかりであつた。
お月夜だつたかしら?
考へて見たが私は、夜のことは思ひあたらなかつた。私は、ほんとうに自分が負けたのかどうか? は解らない気がしたが、何となくつまらなくなつて、
「早く母さんが迎へに来れば好いな。」と呟いだ。笑顔をつくりながらではあつたが祖母に、折角なつた果物を喰べられもしないうちから無駄にするやうな人間は碌なものにはなれないぞ、これからは云々と堅く訓められて、おそろしく私は怯かされた。藪根の草葉の中から、歯型をつけられたまゝ棄てられてゐる青柿に眼があつて、憾みをのんで凝つと此
前へ
次へ
全17ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング