く塗つてあつたが、その他のところは藁で出来てゐた。彼は、自分の浅猿しい姿に初めて気づいたやうに、茫然とした。そこで彼は、気が狂つて、無茶苦茶な舞踏を演じた。……狂気、乱酔、哄笑、それらの渦の中で踊り狂つた。――彼は、自分が操り人形の身であることを忘れてしまつた。糸が皆な切れてしまつた。ガチャリといふ音がして、板の間に倒れた時、ああ俺は人形だつたんだな――と気附いた。もう遅かつた。彼は、恨めしさうにピッカリと眼を開けた儘天井を睨んだ。……静かに幕。
私は、そんな馬鹿馬鹿しい空想に走つて、間の抜けた苦笑を洩らした。
私は、執筆は断念して藤田に手紙を書いた。
「いつか君に話した恋愛小説の計画は失敗した。自身の心が小説の中へ溶け込んで行くと、僕はその苦痛に閉口してしまふのだ。だが、やがて書くであらう。その代りとして、この間うちからドラマの計画を立て始めた。うまくまとまれば、荘厳な舞踊劇になるかも知れない。印象的なシムボリックなもののつもりだ。この頃僕の思想がリアリズムを離れてゐる、といふ標《しるし》になるであらう。」
私は、手紙を書いただけで疲れてしまつた。藤田から手紙が貰ひ放しになつてゐるので、厭々ながら書いたのだ。――手紙にすら、ほんとのことが書けないとは情けない、つまり俺の頭にも生活にも、文字に換ふべき一物もないといふ証拠なんだらう、小説なんていふものは止すべし、止すべし――私は、そんなことを思ひながら、却つて清々したやうな気持になつて、縁側に出てどつかりと大儀な体を椅子に落した。
Fと照子が砂だらけになつて帰つて来た。二人は跣足になつて、足袋や靴下の儘で、泉水を蹴つて、砂を落した。照子は、電話をかけて自家から着換への着物を取り寄せた。濡れたスカートの儘で、Fは座敷にあがり唐紙をぴつたりと閉めて、照子と二人で着換へをした。
「もの云へば唇寒く――もの書けばペンまた寒く、思ふこと更に寒し。」などと思ひながら、私は泉水に眼を放つて茫然と煙草を喫《ふか》してゐた。
「ジュンは、どうして来なかつたの?」
「行かうと思つてゐたんだが、忘れてゐた仕事を思ひ出したんだ。」
「そして、それはもう片附いたの?」
「僕の仕事はビジネスぢやないんだから、片附くも片附かないもあつたものぢやない。」
私の細く濁つた声などには頓著なしに、
「妾達は、膝の上まで浸して来た。」と、Fは照子を顧みて云つたりした。
「純ちやんの仕事ッて何さ?」
「照ちやん達と、こんな風に話しをしてゐることと反対なものが僕の仕事なんだよ。」
私は、自分でも有耶無耶ながら、さう云つて何か漠然と別のことを考へたりした。
「ジュンの仕事は、朝寝坊と夜更しだらう。」
Fは、爪を磨きながら呟いた。照子は、一寸敵意を含んだ眼つきでFの指先を眺めた。
「まア、てんでんに閑な人はバカな日ばかりを送つてゐたら好いだらうよ。――どれ、また仕事の続きに取りかからうかな。」
「今晩妾の家で、Fさんをお客にしてお茶の会をするんだが、ぢや純ちやんは来られないね。」
「大嫌ひだ。仕事がなくつたつて御免蒙る。」
私は、さう云つたが一寸羨しかつた。さういふ家の中の会合なら、また何か出たら目をやつて、彼女達の眼を牽くやうなことが出来ないわけでもない。この間の晩などは、私は調子に乗つて長持の中から虫臭い裃を取り出して、
「われわれの国の昔の風俗習慣を見せてやらう。」とFに云つて、刀を持つて立ち上つた。「危いよ。」と、照子が云ふと、私はここぞと云はんばかりに、見物を次の間にさがらせ、十畳間の真中に突ッ立つて、
「ヤア!」と叫んで、ギラリと白刃を抜き放つて見せた。そして仮想の敵を描いて、正眼の構へをした。太刀の方を用ひたかつたのだが、それは重たくてとても振り回せないので小刀を用ひた。何か芝居の真似事をして見せたかつたのだが、私は何の台詞も知らなかつたので、ただ縦横無尽に切りまくつた。長押から槍を取り降して、それをしご[#「しご」に傍点]いて見せもした。かういふ単独の業なら、私も相当巧みだつた。
「なにしろ僕は、武士の子だからね。町人風情の照子とか、毛唐人のFなどは、これが若し昔ならとうに吾輩の手打になつてゐるところだ。」
裃の肩を脱いで、一休みした時、私は、そんなことを云つて笑はせたが、ふと「まつたく昔なら……」といふ気がした。
「今夜は、仮装会をして遊びませうよ。」と、Fは照子に云つた。
「Fさんはジュンの学校服を借りて大学生になりなさいよ。妾は龍二の野球のユニフォームを借りますわ。」
多分嘘だらうと私は思つた。
二三日雨が降り続いた。私は、救はれた思ひがした。終日、机に向つて痴想に耽り続けた。夜になるとFを相手に、相変らず馬鹿馬鹿しい騒ぎをした。照子は、蓄音機の音楽でFにダンスを習つたりした。
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