。これから、此処で御飯を食べるのよ。」
娘は仕事場の火床に鍋をかけた。
「その間、お父《とつ》さんと一緒にもう少しお酒を飲みながら待つて頂戴!」
三人は火床を取り巻いて腰をかけた。
「今日は市場の帰りにミヤツに寄らねえかね。あつしもお午時分には行つてるから。――この娘《こ》が踊り舞台に出るのを見てやつて呉れないかな――」
「黙つてゐようと思つたのに――」
と娘は、箸で父親を打つ真似をした。「黙つてゐて、見せようと思つてゐたんだつてえのに、おしやべりなお父さんだな!」
若者は得体の知れない嫉妬を覚えた。
「それは是非今日は、帰りに寄せて貰はう――それは黙つてゐられゝば勿論解る筈はないだらうな。」
「真ツ黒なのが、真ツ白になるんだからな――」などゝ父親が、からかつたりしたが娘は、知らん顔をして頻りに飯を喰つた。
「お漬物が足りなくなつてしまつたけれど出して来るのが面倒だな!」
「生でも好いかへ?」
若者は、外の馬車を指さして娘に云つた。
「生で好かつたら何でもあるぜ――」
「キヤベツをむしつて、ソースをかけて喰べようか――」
「キヤベツなら素晴らしいのがある!」
若者は車に駈け寄つた。
「そうら斯んなのが!」
「それ、一ついくらなの?」
「戯談ぢやない!」
「いゝえ――。キヤベツのお土産ぢや具合が悪いかしら?」
「いや/\――」
と若者は慌てゝ手を振つた。「お土産なら果物がいろ/\ある。あげるよ/\!」
「ぢや、何でも沢山頂戴――。あとで車に乗つてからで好いわ。」
若者は無暗に嬉しかつた。
「ね、そのかはり、今度、タイキの馬蹄《くつ》をあたしがつくつてやるわ。」
「そいつは好いな!」
と若者は頓狂な声で叫んだ。
――若者は、自分も鍛冶屋になることを空想した。自分が、あの父親の場所に坐つて娘を相手に仕事をする場面などを空想した。さうかと思ふと、毎朝々々御者台に娘と並んで市場へ通ふ光景を想つたりした。だが、娘が居なくなるとあの父親はたつたひとりぽつちになつてしまふのだ、そしたらどんなに寂しいことだらう、鍛冶屋も止めてしまはなければなるまい、これはどうしても自分が鍛冶屋になるより他に道がないといふものか……。
何を馬鹿な! と若者は不図胸のうちで呟いた。「馬鹿なことを思つてゐる! 酒に酔ふと斯んなものかしら……」
若者は妄想を退《の》けようとしたが、そ
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