ことぢやありませんか、ならうことなら若武者の撥に打たれて昏倒してもみたいものよ。」
 このやうなことを叫んで打騒ぐ娘達の中にまぢつて、私の妻も惚々として口をあけながらその勇姿に見惚れてゐた。
 凡そ、彼の勇士の振舞ひは、あらゆる人間の情熱と根気と忍耐と覇気の徳を兼ね備えた遠い昔、遠い国のガスコン族の再来かと見紛ふばかりであつた。あの、精悍無比にして、義に富み、信に深く、崇神の念に厚く、婦女を敬ひ、智謀に長けた永遠の血脈をありのまゝに中世紀時代の数々の騎士達の胸に伝へて、大陸の歴史を花と色彩つたところのガスコン民族やゴツス人の精気が、凝つて一団となり此処にも生れたか――と思はずには居られない程に、この奔放無礙なる大振舞ひに一途の精神を打ち込めた太鼓たゝきの荒武者の打ち鳴らす太鼓の音は、聴く者、視る者の魂を力強く極楽の空に拉した。
 私は、酒の気もなくて眠れぬ夜々のうそ寒さを、小屋の二階の寝台で夜もすがら、転々としながら、あの祭りの太鼓の音に想ひを及ぼすと、幻ともなく現《うつゝ》ともなく太鼓の音が或ひは遠く、或ひは近く津波の勢ひで殺到して来る花々しさに巻き込まれて、思はずはねあがると次のやうな歌をうたひながら、白々と東の空が明るむ頃ほひまでも窓に凭りかゝつて、絡繹と連る行列に見惚れた。(――その一節)
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……かくの如き人波の中
楊柳を折り芙蓉を採る
瑶環と瓊珮とを振ひ
鏘々として鳴つて玲瓏たり
衣は翩々として驚鴻の如く
身は矯々として游竜の如し
[#ここで字下げ終わり]
 ……と、などゝ、いつまでも歌ひつゞけて。
 この頃私は、「悲劇」「喜劇」の出生と、その岐れ道の起因に関して深く感ずるところから、劇なるものゝ歴史について遠くその源を原始の仮面時代の空にさ迷つてゐたところ、計らずもガスコンの原始民族が、酒神サチユーロスを祭る大祭日に、恰もこの竜巻村の神輿行列にも等しい仮装行列の一隊を組織して、バラルダと称する大太鼓を先頭に曳いて、山上の酒神の宮へ繰り込むといふ有様を詳さに伝へた文献に出遇つて、目を丸くした。パン、ユターピ、カライアーピ、バツカス、エラトー、ユレーニア等々と、山羊脚を真似、葡萄の房をかむり、狐頭《ガラドウ》や犬頭《アヌビス》、星の倅、恋の使者、雲の精と、とりどりの扮装を擬した行列が、手に手に携へた|羊角型の酒壺《ジーランド》を喇叭と鳴し喇叭呑みの乱痴気騒ぎに涌き立つて、バラルダの音に足並みそろへるおもむきは、恰も私達の天狗の太鼓隊につゞいて、おかめ、ひよつとこ、翁、鬚武者、狐、しほふき等々の唐松村の仮面劇連が辻々の振舞酒に烏頂天となつて、早くも神楽の振りごとの身振り面白く繰り込んで来る有様をそのまゝ髣髴とさせる概であつた。――因みにバラルダの大きさは、直径凡そ五碼とあるから、私達の水車の大きさであり、六頭の牛をもつて曳かれ、二十人の使丁に後おしされて、はね吊籠型の投石機《スリング》仕掛になつた大撥で打たれるとの事であつた。それ故その音響の大は私如きの想像にあまつたが、窓下の薄|鈍《のろ》い流れに軋りをたてゝ今にも止まりさうに廻つてゐる水車の影が、情けない痴夢に酔どれた私にはガスコンのバラルダとも見紛はれた。明方の翼に稍ほのあかく染められた彼方の山の頂きを眼ざして、月の白光の波のまにまに打ちつづく私の眼界に現れる大行列は、ガスコンと唐松の崇神者連をごつちやにして、世にも怪奇瑰麗な賑々しい騒ぎであつた。
 どうん、どうん、カツ、カツ、カツ!
 空一杯、胸一杯に太鼓の音が鳴り響いて、天狗が、牛頭《アービス》が、象が、|山彦の精《エコウ》が、馬が、河童《ニツケルマン》が、|風の神《ゼフアラス》が、|人形使ひ《ピグメーリアン》が、|蝶々の精《サイキ》が、ダイアナがおかめと手を携へて往き、閑古鳥をさゝげた|白鳥の精《レーダ》が笛を鳴らし、榊やオリーブの枝をさんさんと打ち振りながら続いて続いて止め度がない……。轣轆たるバラルダの廻転と、荒武者が此処を先途と打ち鳴らす竜巻村の大太鼓の音が人波を分けて、行列を導いて行く。
 私は、声を張り挙げて歌ひつゞける……、
「鏘々として鳴つて玲瓏たり……」
 ――「おゝ、もうお目醒めになりましたか。雪二郎が朝餉の仕度をして居りますから、どうぞ囲炉裡にお降り下さい。」
 窓下からの声で私は、夢から醒めると、朝餉の前の一働きに水門開きに出かける雪五郎と雪太郎であつた。
 いつか、もう夜は、ほのぼのと明けて、山は藍色に、野は広袤として薄霧の中に稲むらの姿を点々と浮べてゐるのみであつた。行列は、もうあとかたもなく山上の森に吸ひ込まれて、車の軋りの音も消えてゐる。
「今朝方は、また二寸からの減水で、いよいよ車は水が呑めなくなりましたが、お心はたしかであつて下さいよ。」
 と雪太郎が呼
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