の先へ立つと云へば……鳧のつくことだ……」
 小屋の胴震ひの音にさまたげられて止絶れ/\にしかうけとれなかつたが、いつの間にか迎へに走つたと見へる雪二郎を先きにして、雪五郎と雪太郎が口々に亢奮の言を叫びながら嵐となつて飛び込んで来た。それと一処にメイも何か叫んで私の胸に飛びつき二つの拳骨で、私の胸板を太鼓と鳴らした。たしかその時雪五郎がすいと腕を伸したかと思ふと私の五体は鞠になつて真黒に煤けた屋根裏へ飛びあがり、ふわり/\と感じたかと思ふと、決して訳の解らぬわあ/\といふ人の車の歓声に吹き飛ばされて、繰り返し/\宙にもんどりを打つてゐるのである。私は、目も見えなかつた。昏倒しさうであつた。ガラドウの同勢が圧し寄せて、合戦がはぢまつたのかしらと思はれた。……で、不図、落ついたので、それにしても酷く坐り具合の好いソフアに居るが、いつの間にか敵軍を追ひ払つて、大将の席についたのかな? そんな心地がして、静かに眼を開いて見ると私は、雪五郎の膝を椅子にしてゐた。――合戦かと早合点した今の騒ぎは、雪五郎達が歓喜のあまり私を胴上げの手玉にとつたのであつた。
 水車の響きに逆つて、大声の会話を取り換す習慣には私も慣れてゐる。私は特に落着いた振りで、
「でも僕には、到底あの太い撥を振ふなんていふ力はありはしないよ。」
 と、真に自信に欠けた思ひ入れを込めて、皆なの前に露はに腕を突き出して見ると、まことにそれは鉛筆と見紛ふばかりの心細い腕だ。「撥の方が五倍も太いぢやないか。」
「いゝえ。」
 と父子三人が口をそろへて首を振つた。――「私達は知つてゐる、いつか貴方が、この赤松の薪太棒を軽気に振りあげてガラドウ共を追ひ払つた時のことを――。太鼓の撥は、これと同じ太さであるし、また、打つ時の身構えは、あの時のまゝに演つて下されば申し分はない。私達は、あの時の貴方の姿を見て以来、此処に一人の屈強な太鼓武者が居ると秘かに期待してゐたところ、計らずも斯んな幸運に出遇つて……」
 あの時のあれ[#「あれ」に傍点]は全くの夢中の業で、あれと同じ動作を繰り返して行列をすゝめるなんていふことが出来るものか、あの一振りであの時だつて僕の腕は抜けかゝつたではないか――といふ事を私は云つたが、声が落ちて水車の響きに消されて誰の耳にも入らなかつた。
「おゝ、私は貴方の打つ太鼓の音に伴れて天狗の脚を運べるとは……」
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