んで、少々意地悪になつてやつたのよ。で――そんな御恩があるんならお断りするわけにはゆきませんわね、たゞあたしは未だ自分にはそんな話は早いと考へてお断りしてゐたゞけなんですけれど――あたしは、そんなことをいつて息子の顔を凝つと見てやつたのよ。そしたらね、息子の奴ツたら、とても真面目な顔をして――(僕と君の間で――)だつて! 何が、僕と君だ! とあたしは疳癪を怺へて神妙にしてゐると――(そんな水臭い話は必要ないでせう)――なんて、済して弁士の声色見たいなことをいふのよ。あたし噴き出したくなるのを、やつとこらへてゐたけれど……。さう/\丁度、この辺のところだつたわ、矢ツ張りあたしがあの汽車で東京から帰つて来ると、何うして知つたのか聞きもしなかつたけれど、息子はドリアンの馬車でちやんと迎へに来てゐたの――。……その時、もう少しで彼奴にキツスされてしまふところだつたわよ。」
「キツスだつて! そして、何うして逃れたの?」
 三木は胸をふるはせて問ひ返した。
「それがね、ハズミつて随分怖ろしいものだわ、あんまりその偶然の出来事があざやか過ぎて芝居見たいだけれど……息子は前後のわきまへもなく一途に昂奮してゐたらしく、矢庭にあたしの胸にのしかゝつて来たのよ、つまり、この座席で斯うしてゐて――その時あたしが突然後ろにさつと身を引くと、その途端、男がワツ! と叫んだかと思ふと、あたしの胸の先を素通りして、そこの……」
 雪子は傍らの流れを指ざして、
「川の中へ、真ツさかさまに飛び込んでしまつたぢやないの! バツシヤンと、暗闇の中にとても凄まじい水音をたゝ――」
 といひ終ると、ヒユウツと口笛を鳴らして馬車の速度を速めた。
 三木は、光りにすかして車の傍らを見降すと、真に轍の真下が月の光りにキラ/\と光つてゐる相当の探さを持つらしい小川であつた。

     八

 全速力かと思はれるほどの速さで馬車は小川のふちを駆けてゐた。
「この倍もの速力で、あたしは後ろも見ずに逃げ出したわ。」
 雪子の話によると、それから間もなく弁護士や執達吏などが繁々と青木家の門を出入するやうになつた。
 ある日|伯楽《ばくらう》のやうな男が二人づれで、青木家の厩の前で切りにドリアンの品定めをしてゐるので、雪子は不快に思つて訊ねると、
「あんたは御存知ないんですか、ドリアンを受とりに来たんですよ、村長さんの御いひつけで――」
 と空々しくいひ放つた。
「ぢや、村長の家に、ドリアンは買はれたといふわけね。」
「勿論ですよ。」
「誰から買つたの?」
「お嬢さんは呑気ですな。誰からも何もあつたわけのものぢやありませんよ。つまり、あなたのお父さんからさ、ハツハツハ……買つたといふよりは、つまり貸金の利息の、ほんの申しわけに――といふ位のところさ。」
「勝手にするが好いわ。」
 雪子は憤《む》つとして、自分の部屋に引きあげて、窓から様子を見てゐた。
 伯楽が、ドリアンの手綱を引いて門を出て行かうとした時雪子は、吾を忘れて、常々から、ドリアンにだけ通じる意味の最も鋭い口笛を鳴した。――すると、ドリアンは、気たゝましい叫びを発して、突然後ろ脚で立ちあがつた。それを見た伯楽は眼の色をかへて、暴れ馬を取りおさへにかゝつたが、馬のたゞならぬ気合におそれをなして(馬は二人の男に蹄をあげて飛びかゝりさうな勢ひを示した。そして、あべこべに伯楽に向つて追ひかけさうになつた。)一目散に遁走してしまつた。
 が、翌朝雪子が厩に行つて見るとドリアンの姿が見えないのである。しかし雪子は、自信があつたから、落着いて、珍しく乗馬服に身をかためた上で、鞭の先で長靴をたゝきながら散歩に出かけて見た。雪子はむしろ今度は愉快であつた。
 街道に出て不図行手を見ると、村長と息子が馬車に乗つて朝霧を衝いて走つてゐた。後ろ姿であるが雪子には、一ト目でそれがドリアンであることも解つた。雪子は靴音を忍ばせて馬車の後を追つた。
 村長と息子は仲睦まじく肩を並べて隣町の方へ赴くらしかつた。
「村長さん、お早う――」
 雪子はかう背後から声をかけた。同時に馬車はピタリと止つた。
「雪さん!」
 村長と息子は同時に、雪子に同乗をすゝめた。何も彼も知らぬ気な素振りで――。
「あんたに是非買つてあげたいものがあるんだがな、一緒に乗つて町へ行かないかね。」
「お父さんがね、君に指輪と首飾りを買つてやらうといふんだよ。実は、それを買ふために今朝二人で出かけたところなんだよ。恰度好いから一緒に行かう。」
 村長と息子はこも/″\甘言を用ひて雪子の同行をすゝめるのであつた。
「この間の晩のダイビングは面白かつた?」
 あまり息子の態度が白々しいので雪子は、斯んなことでも訊いてやらうかしら――などゝ思つた。

     九

 ――しかし雪子は、いふ
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