死んでも関はない。アクテオンのやうに――」
と覚悟した。
「君は、そのまゝ逆ふことなしに乗つてさへゐればドリアンは、自分から進んで女主人の後を追うて行くに違ひないから、君はたゞ落ちないことだけに注意してゐれば好いだらうさ。」
青木は、そんな注意も与へた。
「いや、ドリアンなら自信があるよ。平気だ。この分では、全速力を出しても俺は立派な騎手がつとまりさうだよ。」
三木は、観念した後に、そんな自慢をいつて、即座に出発しようと手綱を振つたが、ドリアンは一向歩き出しもしないのであつた。木馬のやうに行手を眺めたまゝ、凝ツと立ちどまつてゐるだけだつた。
「ドウ、ドウ!」
三木は、威厳を含めた太い声で唸つたが更に利目はなかつた――三木は、焦れて、馬の腹を蹴つた。が、ドリアンは鈍い眼ばたきをしたゞけでなほも動かなかつた。
「まるで銅像のやうだ。君の顔も、そんな風に武張つたところは、仲々強さうに見えるな、たしかに軍人だぞ。」
青木が笑つたが、三木は聞えぬ風をして切《しき》りにスタートをあせつてゐるのであつたが、まるでドリアンは真の銅像に化したかのやうに動かなかつた。
「何うしたんだらう。ドリアンは気分でも悪いのかしら?」
三木は、困惑の色を露はにして情なささうに青木に訊ねた。
「女主人の口笛を聞かなければ動き出さないのだらう。ともかくドリアンは、雪子には、他人には想像しがたい範囲で慣れてゐるんだから、その眼前に主人がゐなくても、やはり主人の命を待つてゐるといふほどの忠実な馬なんだよ。」
「困つたな!」
三木は思はず歎息を洩して空を仰いだ。と、もう向方の小山のあたりへまでも達した時分である筈の雪子は、直ぐ傍らの樹蔭に隠れてゐたのであつた。彼女は、三木に気づかれぬやうに息を殺して、そちらを目がけて堅い蜜柑を力一杯投げつけた。それはドリアンの胴腹にあたつた。――すると馬は軽いいななきをあげて、矢庭に丘を駆け降りはじめた。三木は、がくりとして思はずドリアンのたてがみ[#「たてがみ」に傍点]にしがみついた。
四
ドリアンは、悠やかなうねりを持つた坂道を、下の桑畑までまつしぐらに駆け降りた。そして煙草畑の端を大きく迂回した。
三木は、さつぱりわけがわからなかつた。まるで疾走中に運転手が滑り落ちてしまつた機関車にでも乗つてゐるかのやうな怖ろしい不安に戦きながら、ドリ
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