、馬車から降りると暫くの間ぼんやりと空を仰いでゐたが、傍らの筧に気づくと、父親を救け降して水をすゝめた。
誰も彼も無言であつた。
雪子も、すつかり当惑してしまつて、説明の仕様もなくなつたので、そのまゝ吾家を目指して慌てゝ駆け出すと、ドリアンは正しく娘の影の如く従順に、空馬車の輪をガラ/\と音立てゝ、追つて行つた。
それ以来村長家では、ドリアンの横領は断念したらしかつたが――。
十
そんな、滑稽味の多分に含まれた騒動の話を三木は、月あかりの夜道をごろ/\と呑気な音をたてゝ進んで行く馬車の上で雪子から聞かされたが、一向笑へなかつた。
「そのまゝ、この車と一緒にドリアンはあたしのものに帰つたのだけれど――この馬車は村長の家のものなのよ。馬車だけを引いて帰るのも具合が悪いと思つて、それツきり取返しにも来ないのよ。――その時、もう一つとても可笑しいことがあつたのよ。……これぢや仕方がないから一先づドリアンだけは返しておかう――と村長がいふので、あたし達はドリアンを馬車から脱して、ぢやどうぞ車をお持ち帰り下さい――といふと、(よし、ぢや僕が引つぱつて行く。)息子がさういつて、馬をつなぐ筈のところの梶棒を持ちあげたぢやないの、ところが、ひとりで、いくら力持ちだつて人間が馬の代りなんて出来はしない! 持ちあがりもしないぢやないの。(そんなら二人がゝりで引いて行かう。)と村長も業腹になつて、息子と片々宛で梶棒を持つて、引き出さうとしたんだけれど、到底駄目さ。――ハツハツハ……皆なで思はず笑ひ出してしまつたわ。するとね、村長父子は自尊心を傷けられたと見えて、真ツ赤になつて(今に見てゐろ、屹度ドリアン諸共取返して見せるから――。)と物凄い捨科白を残して引きあげたのよ。その時、あたしには聞えなかつたけれど(馬車と一緒に雪子も伴れて行くからそのつもりでゐるがいゝ!)なんていつてゐたんですツて……」
雪子は堪まらなく可笑しさうに思ひ出し笑ひを繰返してゐたが、三木は、凝ツとドリアンの蹄の音に耳を傾けたまゝ、感歎に堪へぬが如き神妙な調子で、
「雪さんとドリアンは恰度ダイアナとその護衛卒のやうなものだ。」と唸つた。
「冗談ぢやない。……だけど、あたしが若し何処かへお嫁に行くとしたら何うしたつてドリアンはお伴になるだらうと思ふと……」
「とても都会生活は出来ないな。」
三木は
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