ひをした。写真だけでしか見知らない外国に居る父のことを想ひ出すのだつた。――その頃の遣瀬なかつた気持を、彼は現在でもはつきりと回想することが出来た。
 彼は枕に顔を埋めて、つい此間もう少しで殴り合にさへならうとした位ゐ野蛮な口論をした父を思つた。
「ヤンキー爺!」
 彼は、そんなに呟いて思はず苦笑した。肚では斯んなに軽蔑したり、また母や細君の前では一ツ端の度胸あり気な口を利くものゝ、いざ親父と対談の場合になると鼠のやうに縮みあがつてグウの音も出ないのである。
 彼は、偶然ずつと前から自分に混血児の妹があるといふことを知つてゐた。無論、それを知つて以来もう五六年にもなるが妹を見たこともなかつた。――汽船の笛を聞くと、妹の空想が拡がつた。――彼は、夢心地で床の間の隅の古びたコートを眺めてゐた。
 ……「君の、そのコートは古いには古いがとても俺――気に入つてしまつたよ。馬鹿気てだぶ[#「だぶ」に傍点]ついてゐるんだが、そのだぶ[#「だぶ」に傍点]つきさ加減に奇妙な調和があるよ。肩の具合だつて斯んなだし、袖だつてそんなに長くつて、どうしたつて君の体に合つてやしないんだが、妙にその合はないところ
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