地震が起つた。幸ひ家は潰れなかつたので、家のなかで彼は当分蒼くなつて震へてゐた。
 小田原では母の家だけが辛うじて残り、他は凡て焼けてしまつた。
 貸家とか土地とかで生活してゐた彼の父は、無一物になつて、彼が初めて帰つて見ると、蝉の脱け殻のやうな顔つきでぼんやりしてゐた。
 父は、妾の家族を抱へ込んで途方に暮れ、焼けあとに掘立小屋を拵へる手伝ひをしてゐた。母だけは、自分の所有になつてゐる家が残つたので、父の方などには一文も金を遣らないと云つて、独りで住んでゐた。
 父は、女にやる金がなくて弱つたもので、思案の揚句その掘立小屋で居酒屋を初めさせた。
 或晩、彼がその小屋を訪れると今迄とは打つて変つた態度で父は彼を迎へた。そして久し振りに二人で酒を飲んだ。
「今にこゝに大きなホテルを建てるよ。そしたらお前はその支配人にならないか。」
 そんなことを父は話して、彼を苦笑させた。何とかひとつ皮肉を云つてやり度い気がしたが、遂々出なかつた。
 その後彼は東京に来て、或る新聞社の社会部記者となつて華々しい活動を始めた。間もなく彼は、その非凡な手腕を同僚に認められて、社から大いに重要視された。彼は、生れて初めて感じた得々たる気持で、燕の如く身軽に立ちはたらいた。
 初冬らしい麗らかな日だつた。彼は口笛を吹きながら、ステーションへ急いだ。二タ月振りで小田原へ帰るのだつた。……どんな風に誇張して、得々たる自分の功蹟を説明してやらうか、何と親父の奴が舌を捲いて仰天することだらう! それにしても今迄いろ/\なことで癪に触つてゐるから、どんなかたちで、どんな皮肉を浴せてやらうか? 阿母もひとつ何とか苛めてやらう、この俺を信用もしないで、細君にまで辛く当つたりしたから、此方もひとつ遠廻しの厭がらせを試みてやらう。……彼は、そんな妄想に耽つて胸をワクワクと躍らせた。
 彼は、片手に例の「スプリングコート」を抱へてゐた。いくらか冷々したが、それを看て往来を歩く気にはなれなかつた。
 これは、つい此間熱海から届いた行李の中に入つてゐたのだ。
 帰りがけに、この古コートを父の掘立小屋に何気なく置き忘れて来てやらう――彼は、さういふ量見だつた。
 彼は、鼻頭をあかくしてセツセツとステーションを眼指して歩いて行つた。[#地から1字上げ](十二年十二月)



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「父を売る子」新潮社
   1924(大正13)年8月6日発行
初出:「新潮 第四十巻第一号」新潮社
   1924(大正13)年1月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
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