な気の毒なアカデミシアンであるらしい。」
僕は、横を向かずには居られなかつた。壁ぎはにあつた鏡にフロラが写つてゐた。彼女は、膝の上の大きな赤革の化粧ケースの蓋をあけて、化粧をしながら、
「自分にはアカデミシアンの胸は全く解らない。」などゝ云つてゐた。
「フロラ――彼に、お前の国流の礼儀作法を教へてやつてくれ。彼は学校を出ると同時にお前の国を訪ねたい希望を持つてゐる故――」
苛めないで呉れ――とでも僕は兄貴に云つてやり度いやうな思ひであつた。
「おゝ、さう――」
とフロラは深重に点頭いた。そして僕に向つて、
「妾の親愛なる友よ、妾はお前に依つて日本語を覚えたい、お前の町の美しさは妾がこれまで訪れた国々のうちで……」
と切りに話しかけたが、僕は一向に答へる様子もないので再び兄貴に向つて、
「彼は英語は話せないのかしら?」とたづねた。
「実用会話だけが特に不得意らしい。」
「まあ、気の毒な。この先、妾と交際したならば、では、随分彼は有益であらう。」
「非常に/\。」
と兄貴は云ふと同時に、最もはやい日本語で僕に、
「何とか云へよ。」と一矢を放つた。
僕は、眼と首を横に振つた。兄貴は僕にだけ通じる程度で、舌を打ち、そしてフロラとの会話を続けてゐた。
僕は腕を組んで達磨のやうな眼をしてゐるより他に術がなくなつてゐた。そして、二人の会話を聞いてゐるやうな顔はしてゐたが、何も解らず、たゞ時々フロラの横顔を盗み見るだけであつた。
考へて見ると、僕はこの部屋に現れて以来一言の声すら発してゐないのだ。さう思ふと僕は、そんな自分の存在が自分ながら不気味で、そして癇癪が起つた。
……と云ふて、急にこの木兎のやうな男がベラ/\と喋舌り出したら随分変なものだらう、あゝ何うしたら好いだらう……。
僕は、六ツかしい顔をして、秘かにそんな愚かな溜息を吐き、もういよ/\凝ツとしては居られなくなつたので、そつとごまかすやうにして椅子を離れて逃げ出さうとした時不図熱い耳に兄貴の一言が聞えた。
「彼は FOOLISH――なんだよ。そして時々病の発作が起るらしい。」
「おゝ、さう。FOOLISH……」
フロラは白い表情で、平然と点頭いてゐた。その声は科学者の点頭きのやうに澄んで、非感情的であつた。
が、僕が思はず振り返ると、フロラの幾分驚きを含んだ眼が凝ツと僕の顔を眺めてゐた。――僕は
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング