。
私は胸を手風琴のやうに波打たせながら、やつと息切れが止まると、
「酷え奴だなあ!」
と唸つた。――「七郎と八郎の喧嘩の言葉を束にして、九郎の顔に投げつけてやつても俺は飽き足りないぞ。」
「あの壮烈な貧棒を目のあたりに眺めてゐながら――」
と八郎も唸り、七郎も亦、
「奴はデカダンだ。」
と叫んだ。――この壮烈な貧棒を眺めながら九郎を当にして酒を飲んだりする奴は、ぢや何なの? と御者が皮肉を呟くと、二人は困惑の色を露はにして、八郎は慌てゝ、自分が御者に換らうと申し出たり、七郎は憐れな声で、溜息と涙の遣場を酒にして、とかといふ風な悲歌を吟じた。九郎を罵る私の声がだん/\大きくなつて絶れ目もないのが、次第に二人の者にも痛さを与へたようであつたが、私は遠慮出来なかつた。
「再び出会つても俺はもう九郎とは口を利き度くないぞ――奴の一切が嫌ひになつた。」
私は、思はず八郎の頭を右手の拳で打ち、七郎の耳を左手で捻つた。そして、馬鹿野郎、馬鹿、馬鹿! と叫んだ。私の声に慣れてゐるドリアンは、急に脚並みを速めた。――常々、八郎の画や七郎の詩よりも、九郎の小説を未だしも認めてゐたのであるが、こんな動機で彼の仕事までが汚れて見えて来るのに、私は驚いた。九郎は一切主張を持たぬ性質で、他の二人から恰度私の立場に似た扱ひを享けてゐる為に、私は別様の親しみを感じてゐたのであつたが、それが反つて私の胸に醜悪な影となつた。私と九郎は手を執り合つて、道伴れを約した事さへあるのだ。それを自分は、こんな機会に、徹底的に罵るなんて、何と自分たる者に恥を覚えぬか、偽、偽、偽! と、われと吾が胸に矢を放つて見るのだが、断然この愚劣な亢奮は収まらぬのだ。
憎気な九郎の顔だけが、一切の夢を退けて私の眼底にやきついてゐるのみだつた。
私は翌日から、今度は油を借りて来て自分の部屋で「|罵しる男《ゾイラス》」と題する短篇にとりかゝつた。 Zoilas――には、既日私は転身することが出来た、称号に慣れるまでの暇も要ともせずに、忽ち、Ossian を振り棄てた。私は、書き誌すそばから、同人連に向つて朗読した。
Zoilas(B.C. 400−305)あゝ、あの厭生派の修辞学徒は稀代の長命者だ。彼は、その一生をホメロスの罵倒に傾注した、その名前が「罵しる男」なる抽象名詞として通用されるに至つた程彼は憎みとほし
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