の火酒にその身が焼かれるのも忘れるであらう、奴等と来たらわづかばかりの頓智に満足して、恰度小猫が自分の尻尾に弄れるやうに、酒場の亭主に信用のある限り、そして自ら訴へる程の苦痛のない限り、年がら年中堂々回りのお祭り気分で有頂天――」
 それは博士の言葉ではない――「|愛と光りを吹き消す翼《メフイストフエレイス》」の、それこそ「誘惑の科白」なんだよ――と私は気づいたが、訂正する子猶もなく、七郎の声の面白さに亢奮して、八郎を引きずつたまゝ戸外へ滑り出た。
「八郎なんて振り切つてしまひなさい。しかめつ面の唯物論者奴、盗み飲みの道伴れに友達を誘はうとしても駄目だぞ。」
 七郎は片側から私の腕を引つぱりながら、八郎を罵つた。
「云つたな――何方が盗すつとだ。手前えは Ossian の奥方が、俺の歌に惚れて接吻を要求したなどと吹聴したらう、認識不足の放浪者奴、他人のあたり前の好意に飛んだ自惚れ気を起す乞食詩人奴――」
 私の右腕を執つたまゝの八郎は、七郎に向つて脚を挙げた。
「ボロシヤツ一枚で歩いて帰れ――」
 二人の口論が次第に激しくなると、二人は私の腕を左右から根限り引つ張つたまゝ、罵りの言葉の絶れ目毎に脚で闘つた。それが相手までは届かずに、交互に私の臀部にあたつた。そして、抜けさうな両腕の痛さと、蹴られる度に思はず宙に飛びあがつてしまふ私を心棒にして追ひつ追はれつ風車となつて回転した。女房は白々しく鞭を振りながら、つまらなさうに風車の後をついてゐた。創作家なんていふ徒輩は悉く酔つ払ひの神経衰弱者見たいなものだと思つてゐたから、どんな騒ぎが起つても彼女は何時も馬耳東風であつた。皆な気狂ひのやうな自惚れ家だと思ふだけだつた。
 タービンの回転は益々速度を増して私には、八郎と七郎の、そして私自身の区別も判別出来なかつた。凄まじい旋風の中に私は「うぬ!」とか「畜生奴!」とかの唸りと、西瓜のやうに蒼い二個の顔と、そして痛さのために挙げる自分の悲鳴を聴いた。――円い月が幾つにも見えた。あちこちの遠い灯火が金色の雪に見えた。ガードの下で私達は列車の響きを知ると、バラ/\になつて一目散に駈け出した。
 九郎は終列車にも姿を現はさなかつた。
 三つの片々となつた風車は、馬車に積まれると、口をあいて月を仰いでゐた。女房が御者台で、口笛を吹いてゐた。ドリアンの蹄の音が野中の街道に戛々と鳴つてゐた
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