たか》も箱根連山と足柄連山の境界線にあたる明神ヶ岳の山裾と道了の森の背後に位して、むっくりと頭を持ちあげている達磨《だるま》の姿に似た飄然《ひょうぜん》たる峰を見出すであろう。ヤグラ嶽と呼ばれて、海抜|凡《およ》そ三千尺、そして海岸迄の距離が凡そ十里にあまり、山中の一角からは、現在帆立貝や真帆貝の化石が産出するというので一部の地質学者や考古学徒から多少の興味を持って観察され、また末枯《うらがれ》の季節になると麓《ふもと》の村々を襲って屡々《しばしば》民家に危害を加える狼や狐やまたは猪の隠れ家なりとして、近在の人民にはこよなく怖れられ、冒険好きの狩猟家には憧れの眼《まなこ》をもって眺められているところのブロッケンである。
 私の尊敬する先輩の藤屋八郎氏は、ギリシャ古典から欧洲中世紀騎士道文学までの、最も隠れたる研究家でその住居を自らピエル・フォンと称《よ》んでいる。その山峡の森蔭にある屋敷内には、幾棟かの極《きわ》めて簡素な丸木小屋が点在していて、それ等にはそれぞれ「シャルルマーニュの体操場」「ラ・マンチアの図書室」「|P・R・B《プレ・ラファエレ・ブラザフッド》のアトリエ」「イデアの楯
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