「牛」か「※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]」であったならば今ここででも即座に売却して久し振りに愉快な盃《さかずき》を挙げることも出来るのだが「マキノ氏像」ではどうすることも出来ない、早く片づけて来給え、それから帰りには近頃経川が「馬」の小品をつくったそうだから、そいつを土産《みやげ》に貰《もら》って来て呉れ、質にでも預けて飲もうではないか! などと云いながら、私に新しい寒竹の鞭を借そうとした。
「ゼーロン!」
私は、鞭など怖ろしいもののように目も呉れずに愛馬の首に取縋《とりすが》った。「お前に鞭が必要だなんてどうして信じられよう。お前を打つくらいならば、僕は自分が打たれた方がましだよ。」
主の言葉に依《よ》ると、ゼーロンの最も寛大な愛撫者《あいぶしゃ》であった私が村住いを棄てて都へ去ってから間もなく、この栗毛《くりげ》の牡馬《おすうま》は図太い驢馬の性質に変り、打たなければ決して歩まぬ木馬の振りをしたり、殊更《ことさら》に跛《びっこ》を引いたりするような愚物になってしまった、実に不可解な出来事である、今日図らずも私を見出して再び以前のゼーロンに立ち返りでもしたら幸いであるが! との事であった。
「立ち返るとも立ち返るとも、僕のゼーロンだもの。」
私は寧《むし》ろ得意と、計り知れない親密さを抱いて揚々と手綱を執った。
「一日でも彼奴の姿を見ずに済むかと思えば却《かえ》って幸せだ。」
主は私の背後からゼーロンを罵《ののし》った。私は、私の比《たぐ》いなきペットの耳を両手で覆《おお》わずには居られなかった。――ゼーロンの蹄の音は私の帰来を悦んでいるが如くに朗らかに鳴った。私の背中では、薄ら重い荷がそれにつれて快く踊っていた。ゼーロンのお蔭で私は、苦もなく龍巻村へ行き着けるであろうと悦んだ。――これまで水車小屋の主は、経川の作品を売却する使いを再参自ら申出て、街《まち》へ赴《おもむ》くとそれを抵当にしてあっちこっちの茶屋や酒場で遊蕩《ゆうとう》に耽《ふけ》っては、経川に面目を潰《つぶ》すのが例だったが、相変らずさようなことに身を持ち崩《くず》していると見える。今日も私が、経川の作品を持参したというと、小踊りしながら袋の中を覗《のぞ》き込んだが、期待に外《はず》れて非常に落胆した。
「お前の主が経川の作品を携えて街へ行く時には、お前はいつでも木馬になってやる
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