忍び込んで、そんな原稿を読みあがつた?」
「あら、まあ、憤《おこ》つたの?」
男の声が、突然娘の声に変つた。そしてカーテンの蔭から私の「アウエルバッハ騒動」といふ書きかけの芝居に出て来る雉子の羽根を斜めにさした頭巾を被つた小柄の学生が現れた。で私は、その芝居のために先づ取りそろへてある幾つかの衣裳が帷の蔭の衣桁にかけてある筈なので、慌てゝ、其処を験べて見ると、悉く盗まれてゐる。
「何だ! メイ子……」
「折角だから、もう少し芝居を続けるのよ。――途中を飛ばして――云ふわよ。ねえ、先生、酒場へ行くか、厭だとあらば、お手なみを拝見……で、斯う――これで好いの。」
と学生は腰の剣に手をかけた。
そこで私は、あの芝居の中の愚かな博士である私は、科白を続けた。
「斯んな月夜の晩に君と肩を組んで出かけるのならば、酒場と云はず、山向ふの森までゝも、悲劇出生論を講釈しながら、今直ぐ行かう――といふのは、内証でお前にだけ伝へるが、学生に扮してゐるものゝ、お前は俺の可愛いゝ小鳩、アウエルバッハのマーガレットであるのが解つてゐるからなんだよ――お前の望みならば何でも聞く、望みとあらば、あの森蔭へ行つて闘剣《グラジエート》の相手にもならう、そしてお前の突き出す鋭い剣に射抜かれて、死んでしまつても、存外悔もなさゝうだわい。」
そこで、芝居では、博士が学生の奇智を賞讚して、抱擁する場面になるのであつたから、私も、腕を延して娘を引き寄せようとする途端、
「ストップ!」
と、また帷の向方で声がして、同じく学生に扮した清子と、そして、冬の外套を着てゐる細君が現れた。
「さあ、貴方出かけませう、此方の支度はすつかり出来てゐるのよ。馬車も来て待つてゐるのよ。――着物を著換へて……」
「…………」
さうだ、私達は此晩村を出発して、町に赴き、翌朝早く東京へ旅立つ筈であつたのを私は、うつかり忘れてゐた。
R漁場が、結局作次の一族の経営に移るかも知れなかつたし、常々私は、都の友達から、そんな田舎へくすぶつてゐないで、君は一日も早く、芸術同志の友達がゐる都へ移つて来なければならない! とすゝめられ、自身の心も大いに動いてゐたところなのだつた。
「そして、その二人の恰好は何の意味なのよ?」
と私は娘達を指差して、細君に訊ねた。
「写真を撮るのだつて――この部屋の思ひ出のために――そして、あなたの、あ
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