何時にも小説を読まなかつたことに気づき、慌てゝ傍らの一冊の雑誌をとりあげたところ、そんなやうな不思議な風みたいな作品を発見しました。風と云へばその中には斯んな個所があります。「諸君、偉大なる博士は風となつたのである。果して風となつたか? 然り、風となつたのである。何となればその姿が消え失せたではないか、姿見えざるは之即ち風である乎? 然り、之即ち風である。何となれば姿が見えないではない乎。これ風以外の何物でもあり得ない。風である。然り風である。風である風である。」
「諸君、彼は余の憎むべき論敵である。単なる論敵であるか? 否否否。千辺否。」
「かりに諸君、聡明なること世界地図の如き諸君よ、諸君は学識深遠なる蛸の存在を認容することが出来るであらうか? 否否否。万辺否。」
 私は、フアウスタスの演説でも傍聴してゐる見たいな面白さを覚えました。奇体な飄逸味と溢るゝばかりの熱情を持つた化物のやうな弁士ではありませんか。
「風博士」といふ題の短篇です。作者の名は坂口安吾です。私にははぢめての、これ以外には未知の人ですが、この作者は今後も屹度愉快な――わかりにくい作品を発表して屡々私に首をかしげさ
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