が「運命」が憎くて堪らなかつた。
「何とか製薬会社、何とか建築会社――あの方はどうなつたのかね。」
「わたしにそんなことを云つたつて、知つてるものですか。」
「ぢや何故余計なお世話で、この間株券や書類を親父のところへなんか持つてつたんだ。」
「あなたが、余りクヨクヨ云ふからあたしがお父さんに頼んでやつたんぢやありませんか、取れるか取れないか、そんなことは解るものですか!」
「図々しいことを云ふな、元はと云へば皆な手前えんとこの爺が、あんなボロツ株を持ち込んだのぢやないか、親父が死んで後の仕末が俺には出来ないといふことが解つてゐれば、せめて彼奴が、彼奴といふのは手前ンとこの爺のことだよ――彼奴が、口を利いた事件だけは何とかはつきり解決をつけるのが当然ぢやないか、泥棒野郎――」
彼は、事柄の内容に就いては何の智識もなかつたから、代名詞や感投詞だけを出来るだけ毒々しく放つて鬱憤を洩した。「そりやア親父のことで俺が斯んなことを云ふのは、しみつたれてゐるけれど、何とかモーロー会社の重役などといふ名前は……」と、そこで彼は、一寸傲然と開き直つて「俺の名前になつてゐるぢやないか!」と、怒鳴つた。
「さうさ、自分が重役になつてゐて、出したお金を取り戻さうなんていふことが出来るものですか。」
「何だと、俺が何時そんなものになることを承知した。」
「あたしに云つたつて知つてるものですか! 自分の阿父さんのことだつて考へて見れば、好いぢやないか、うちのお父さんのせいにばかりしないで。自分だつてもう一人前の年ぢやないか、男らしくもない、いつまでも親父のことになんか引ツかゝつてゐて……」
「悪党の娘!」
二人だけだと、どんなに彼が殺気だつても、慣れ切つたやうな顔で周子は、洒々としてゐた。もとはと云へば彼の罪だらう、こんな風に取り返しのつかない教育を彼女に施してしまつたといふことも――。
「英一をたつた今、伴れて来て貰はう。」
「随分あなたも邪推深いのね。」
彼は、最も憎々しい言葉を探して、この蛙のやうな女の顔に叩きつけてやらう――などと思つた。周子は、賢太郎が編みかけて行つた自分の上着を編み続けてゐた。――悪い両親を持ち、そして小人の夫を持つたこの女も、若しかすると俺以上に不幸な奴かも知れない――彼は、そんなことも思つたが、今宵英一が行つてゐる周子の実家のことを考へると醜い焦慮を圧へることが出来なかつた。
「俺がこんなに不愉快になつてゐるといふのに、何処まで図々しい奴だらう。普通の神経を持つた女なら、ヒステリー位ひ起すのが当り前だ。野蛮人! ……洋服とは何だ、洋服とは……」
彼は、さう云ひかけると、にわかにカツとして周子の手から編物を奪ひ取つた。そして編針を四ツに折つた。なほも力を込めて編物を引き裂かうとしたが、毛糸が伸びたゞけで彼の力では破れなかつた。一寸彼は、テレたが「何だこんなもの、何だこんなもの、好い気になつてゐやアがる――」などと叫びながら、チンとそれで鼻をかんだり、ペツと唾を吐きかけたりして、唐紙に叩きつけた。フワフワとしてゐて何の手応へもないのが、一層肚がたつた。
「勝手にしろ!」と、周子は叫んだ。「煩いから黙つてゐれば、何処までつけあがるんだらう。」
「生意気なことを云ふな。口惜しかつたら何でも其処ら辺のものを叩きこわして見ろ!」
彼が、さう云ふと周子は、
「自惚れ!」と、叫んだ。「自分ばつかり好い気になつてゐて、何といふ態だ!」そしてわけの解らないことを続けて、食卓の徳利を取つて、箪笥に叩きつけた。彼は、反つて心持の落着く思ひを味つた。
「女郎の母親のやうだ、手前ンとこの婆アは! 娘を売つた気でゐやアがる。」
周子は、もう一本の徳利を取つて、また同じやうに箪笥に打ちつけた。
「これだけ損をする位ひなら、芸者でも細君にした方が余ツ程増しだ。」
彼は、不図まつたくそんな気がしたのだ。それにしても芸者を細君にするには、何れ位ひの金が必要だらうか――などと思つた。熱心に、そんなことを思つた。だが自分には何の働きもないし、今では周子の親父のおかげで此方も貧乏になつてしまひ、辛うじてその日暮しが出来る位ひのもので、とてもあんな余裕はなさゝうだ――などと、ぼつとして考へると、更に新しく馬鹿々々しい後悔を感じた。だが彼は、そんな思ひは努めて気色に現さうとはせずに、この上乱暴をされては面倒だなどと思ひながら、急に猫撫声を出して「お止め、お止め!」と、云つた。それだけでは物足りないので「この上乱暴なんてすれば、一層価打ちが下るばかりだぜ。」などと云つた。
「自分の親父は、……」
「何しろお前は、大した親孝行者だよ。」
「何云つてゐるんだい、しみつたれ! あたしの家なんぞは、今こそ落ぶれてゐるが、そんな小田原あたりの貧乏士族とはわけが違ふんだ
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