が巧みで、わざわざ銀座通りなどへ出かけて、服屋の飾窓を熱心に研究して、周子の古袴などで流行型の子供服を仕立てゝ妹に着せてゐた。そして賢太郎は、極端な貧乏嫌ひだつた。時には、彼は女学生の描くやうな美しい絵を描いて独りで楽しんでゐた。――この頃自家が面白くないもので、往々泊りがけで周子のところを訪れてゐた。
「この柄はどう? これスカートよ。」
 賢太郎は、包みの中から布れ地を取り出して周子に示してゐた。
「これ、帽子の材料? 少し派手ぢやないかしら?」
「まア、あきれた。」と、賢太郎は眼を視張つた。「姉さんなんて何も知らないのね、銀座や丸ビルへ行つて御覧なさい、……赤いからと云つたつて何も派手と定つたものぢやないわよ。僕ちやんと洋服との配合を考へて、買つて来たんだから安心しなさいよ。」
「さうオ。」と、周子は手もなく黙らせられてゐた。
「何だい、それは? 何を拵へるんだい。」
 チビチビ酒を飲みながら、黙つて奇妙な光景に見惚れてゐた彼は、突然訊ねた。
「何だつて好いぢやないの。」
「姉さんの洋服よ。」と、忙しさうに毛糸などを選り分けてゐた賢太郎が無造作に云つた。
「チエツ!」と、彼は思はず舌を鳴した。わけもなく顔の赤くなる気がした、「ハツハツ、冗談ぢやない。」
 尤も彼には、さういふ趣味を嫌ふ一種の見得もないではなかつた。
「だつて、まさか自分で出来やしないだらう。」
「女の洋服なんて簡単よ、帽子だつて僕が拵へるのよ。」
「厭だ/\。」
「だつて、あたしの着物は皆な焼けてしまつたぢやないの、あなたは阿父さんのお古があるから好いだらうけれど――」
「だけど洋服は……」
「昨ふ小田原から北原さんがお金を持つて来ましたよ、あなたは寝てゐたから、あたしが受け取つたんだけれど、――今日半分費つちやつたわよ。あなたの云ふ通りになんてなつてゐたひには、半襟一つだつて買ふことは出来やしない。」
 彼は、我慢して笑つてゐた。そんな話になると賢太郎は、悲しさうに眼を伏せてゐた。つい此頃になつて、彼の「仕事」も稀に金になることもあつたが、そんなことは少しも周子には知らさず、浮々と出歩いて有耶無耶に費消してしまつた。自分が得た金だつて、国から来る金だつて、彼には区別はなかつた。多少でも余裕のある間は、ひようひようと出歩いて家庭に落つかなかつた。そして直ぐに不景気になつて、家庭に居る間はケチケチと煩い小言を、女に浴せた。仕事、と云ふのも彼は、可笑しかつた。学問はなく、思想はなく、作文の術もなかつた。中学時代、作文は丁ばかりだつた。あの頃彼が、秘かに想ひを寄せてゐた照子が、文学好きで、様々な文学者の名を恰も恋人のやうに憧れて、無慈悲にも彼に文科をすゝめた。文科でも始めのうちは作文の時間があつた。それは照子が、代作して呉れた。彼は、照子の作文は相当巧いと思つたが、四十五点以上を取つたことはなかつた。照子と喧嘩してしまつた後は、隣席の髪の毛の長い男が、彼を憐んで時々代作してくれた。……彼のこの頃の仕事は、小説だつた。彼の小説、といふのが、また彼には可笑しかつた。ノート・ブツクに叙情詩を書き綴つてゐた頃には、独りで多少の得意を感じたこともあつた。だが最近に彼の書く小説は、死んだ父を取り周つた自家の家庭の不和が主だつた。然も自家の不快に向つて、吐きかけた野卑な雑言に過ぎなかつた。それが仕事と思ふと、彼は、救はれぬ感じに打たれた。「君の小説の主人公を、君はいかに見てゐるのか!」そんなことを云はれると彼は、直ぐに胸がつまつた。本当なら主人公は、私としなければならないのだが彼は、いつでも自分であるべき主人公を「彼は――」「彼は――」と、書くのであつた。小説的と思つて「彼は――」とするのではなくて、自分があまり親不孝で、そして愚昧過ぎるのがわれながら醜く思はれて、せめて主人公だけは「彼は――」として、セヽラ笑つて見逃すより他はなかつた。何と悪評されても答へる術はなかつた。五枚書いては破り十枚、二十枚書いては破りするが、それは決して出来不出来の推敲ではなかつた。「この作者、果して父親小説以外のものが書き得るや否や?」こんなことを云はれると、彼は他人の前では「何だ失敬な、三つや四ツ父親の小説を書いたからと云つて、それで俺の創作範囲を限定するなどとは無礼にも程がある。俺はこれでも想当空想の自由が利く男なんだ。」などと、まことしやかな憤慨を洩すが、云ふまでもなく大学文科の頃と何の差もない彼である。あの騒々しい親父が死んでしまつたら、もう何も書くこともなく、せめて追憶に光りでもあれば、何と批難されたつて同じやうなものを執筆するであらうが、それも今では「お伽噺」に変つてゐる。彼は、お伽噺は書く気になれなかつた。
「此頃、何か書いてゐるか?」と、或る友達が彼に訊ねた。
「書いてゐるか?
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