な神経の鋭敏な潔癖家は、一時間以上彼と対話する辛棒は出来なかつた。
「苦しいことに出遇つて眼醒めるとか、成長するなどといふ繊細な感受性を、僕は、生れながら忘れて来たやうな気がしてならない。」
「さう云ふ、云ひ回しをするものぢやないよ、取りやうに依つては随分厭味にもなるぜ。」
 寧ろ媚の気持で彼は、云つたのであるが、忽ち相手に見破られて、彼は唖然とするより他はなかつた。
「一体君は、さういふ悪い癖があるよ。誇張して云へば、自分を軽蔑するといふ風に見せかけて、反つて相手を軽蔑するといふ……」
「戯談ぢやない。」と、彼は、思はず慌てゝ叫んだ。だが直ぐに彼は、それをも受け入れるやうにニタニタと苦笑を洩してゐた。そんな業のある筈はなかつたのだが、そんな風に云はれると彼は、如何にも自分は辛辣な心を持つてゐるんだ、などと途方もない誤解をして、尤もらしく顔を歪めた。
「それは、たしかに悪い癖だ。さういふ独り好がりは、……」
「独り好がり?」
「勿論だよ、身を滅す種だぜ。」
 相手は、稍々疳癪を起して、だが彼に解るやうに平易な言葉で、二三の例など挙げて諄々と批難を浴せた。その男は彼よりも二つばかり年少の文学研究家だつた。
 批難されると、彼は、忽ち滅入つてしまつた。滅入つたりすることすら擽つたさを覚えたが、余計な圧迫を強ひられて漠とした恐怖に襲はれずには居られなかつた。そして彼は、取り縋るやうに可細い声を挙げて、倒々斯んなにわざとらしいことを云つた。「勘弁して呉れ、まつたく君の云ふ通りだ。僕は、実際自分の言葉を持ち合せないんだ。厭々ながら強ひて持たうとすれば、己れの愚に疳癪を起す言葉だけなのだ。」さう云つた時彼は、思はず歯の浮くやうな可笑しさを覚えたが、努めて神妙に続けた。「如何思はれても、それはまつたく悲しいことだが、他に術がないんだから仕方がないんだ。僕は、せめて、自分の執つた弓で自分の胸に矢を放つて、その痛さを感ずる刹那に、多少の生甲斐を感ずるより他にないんだ。これは決して遊戯ではない。痛い/\と叫ぶ悲鳴なんだ。それも中毒が日増に強くなつて、近頃では普通の矢では悲鳴も挙げられなくなつてしまつた。土人の使用する毒のついた矢でなければ痛痒を感じなくなつてしまつた。それも何時まで続くことやら? 例へば自分の胸に打ちつける矢の種類だつて、せいぜい二三種しか持ち合せないからね、加けに一度
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