の気持を暗くさせたこともあつた位ひだ……余ツ程、嫌はれたらしいな、して見ると……。
「阿母を呼べ、阿母を呼べ!」
食卓に突ツ伏して、泥酔してゐる彼は、ブツブツとわけの解らないことを呟いでゐたかと思ふと、突然そんなことを叫んだ。
「阿母を呼んで貰はう、何でえ、婆アの癖に白粉なんかつけやアがつて……カツ!」
「稀に帰つてらしつて、またお母さんと何かやつたんですね、いけませんね!」
「やるもやらないも、あるもんけえ!」
「悴が我儘で困るツて、此間もお母さんが滾してゐらつしやいましたぜ、旦那のある時分とは違ふんですから、若旦那が……」
「俺ア若旦那ぢやねえ、天下のヴアカボンドだア。」
「今になつてお母さんと仲が悪いなんていふことが知れると、それこそ皆なに馬鹿にされるぢやありませんか。」
「何となく、俺は、阿母の顔つきが気に喰はんのだ。」
「戯談ぢやありませんよ、何をつまらないことを云つてゐらつしやるの?」
「あの声を聞いたゞけでも、虫唾が走りさうだ、あの色艶を想像すると、鳥肌になる……」
「…………」
「驚かなくつても好いよ。これはね、西洋の芝居の声色なんだよ。」
「そんな西洋の声色なんかでなく、あたし達にも解る日本のを聞せて下さいよ。」
「オークシヨン・マーケツトの悪商人が、烏の嘴を絵具で染めて、九官鳥に見せかけたが声を出されると大変だつたからギユツと喉笛を握つてゐると、苦悶の烏がしやがれた叫びを挙げた――そのやうな声だ。」
「ほんとに、日本の声色をやつて頂戴よ。」
「阿母の顔を見るのも厭だア!」
「また始まつた、あたし悲しくなるから止めて下さいよ、そんなことを聞くと……」
――うむ、さうだ、こんな筈じやなかつたんだ、阿母を相手に気嫌よく飲まう、飲めるかな? と思つてゐたところなんじやないか、いや、もう大丈夫だ………。
「なアに久し振りで一寸親父の声色をやつて見たんだよ、好くそんなことを云つて俺たちを困らせたつけなア! それも間もなく、一週忌かね、三月になると。――思ふ間もなくトンネルの、闇を通つて広野原、とかツて小学唱歌があつたね、――今ハ山中、今ハ浜、今ハ鉄橋渡ルゾト、かね。」
「三日には屹度来るツて、お蝶さんも云つて行きましたよ。」
「あんな悪口家の親父にかゝつちやア、阿母もさんざんだつたね、俺、今でも思ひ出すと気の毒になるよ。で、無理もない、といふことになるの
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