つて「手紙は私だつて書けやしないぢやありませんか。」と、ごまかすやうな笑ひを浮べた。東京へ行つてゐた間、母に手紙の返事を彼は、時々書いたが、よく母は彼の手紙の文章中の嘘字や仮名使ひの誤りの傍に線を引いて、返送して寄したものだつた。
「男とはわけが違ふもの。」と、母は云つた。母から、そんなに云はれたことは始めてだつたので、彼は軽い優越を感じた。だが彼は、母が何時何処で周子の手紙を見たのだらうか、と考へて見たが思ひ当らなかつた。未だ周子と結婚しない前、たしか四五度手紙の往復をした以外に手紙のある筈はなかつた。その手紙だつて、彼のにしろ周子のにしろ、出たら目ばかりに違ひなかつたから、一つだつて彼の記憶に残つてゐなかつた。
「周子の手紙なんぞ、どうして見たの? 阿母さんに寄したことがあるの?」
「お前に私が此間借りた本の間にはさんであつた、手紙ぢやないと思つてうつかり読んでしまつたのは悪かつたが――」
母は、さう云ひながら茶箪笥の上に手を延して、部厚な本を彼に渡した。彼は、稍慌てゝ箱の中から、書物を抜き出した。無造作に畳んだ紙片れが、こぼれ出た。それでも彼は、思ひ当らなかつたので、拡げて読んだ。
(おなつかしきお兄様、御帰省なされていかにお暮しですか、周はいつぞやお兄様と日比谷を散歩したときのことを嬉しく思ひ出してゐますのヨ、あの時のお兄様のおやさしきお言葉……おゝ周の小さな胸は高鳴ります……詩をつくりましてよ、ホヽヽ、お見せしようか、よさうか、でもお笑ひになりはしないこと、それは/\拙いのよ、ホヽヽ。)
読みかけて彼は、凝つとしてゐられなかつたが、辛うじて酒で紛らせて、
「手紙ぢやないんですよ、誰かのいたづら書きでせう。」と云ひながら、母に気づかれないように、ふところの中でそつと苦茶苦茶にまるめた。
「せめて体の丈夫なところが取得かね。」と、母は蔑んで笑つた。
「体だつて、此頃はさつぱり丈夫ぢやありませんよ。」
「だけど、それはお前が悪いんだもの。」
遠くの、斯んな種類の家庭に伴れて来られて、常にそんな風に扱はれる周子の身を慮つて、彼は憐れを覚えた。彼女は奥の部屋で、意地悪な夫と姑の微かなセヽラ笑ひを耳にしながら、兄弟や両親のことを考へて、鬼の住家にでも囚はれの身になつた想ひに走つてゐることだらう――彼は、そんな風に察したりした。
それにしても、東京に来てからの彼
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