ことが出来なかつた。
「俺がこんなに不愉快になつてゐるといふのに、何処まで図々しい奴だらう。普通の神経を持つた女なら、ヒステリー位ひ起すのが当り前だ。野蛮人! ……洋服とは何だ、洋服とは……」
彼は、さう云ひかけると、にわかにカツとして周子の手から編物を奪ひ取つた。そして編針を四ツに折つた。なほも力を込めて編物を引き裂かうとしたが、毛糸が伸びたゞけで彼の力では破れなかつた。一寸彼は、テレたが「何だこんなもの、何だこんなもの、好い気になつてゐやアがる――」などと叫びながら、チンとそれで鼻をかんだり、ペツと唾を吐きかけたりして、唐紙に叩きつけた。フワフワとしてゐて何の手応へもないのが、一層肚がたつた。
「勝手にしろ!」と、周子は叫んだ。「煩いから黙つてゐれば、何処までつけあがるんだらう。」
「生意気なことを云ふな。口惜しかつたら何でも其処ら辺のものを叩きこわして見ろ!」
彼が、さう云ふと周子は、
「自惚れ!」と、叫んだ。「自分ばつかり好い気になつてゐて、何といふ態だ!」そしてわけの解らないことを続けて、食卓の徳利を取つて、箪笥に叩きつけた。彼は、反つて心持の落着く思ひを味つた。
「女郎の母親のやうだ、手前ンとこの婆アは! 娘を売つた気でゐやアがる。」
周子は、もう一本の徳利を取つて、また同じやうに箪笥に打ちつけた。
「これだけ損をする位ひなら、芸者でも細君にした方が余ツ程増しだ。」
彼は、不図まつたくそんな気がしたのだ。それにしても芸者を細君にするには、何れ位ひの金が必要だらうか――などと思つた。熱心に、そんなことを思つた。だが自分には何の働きもないし、今では周子の親父のおかげで此方も貧乏になつてしまひ、辛うじてその日暮しが出来る位ひのもので、とてもあんな余裕はなさゝうだ――などと、ぼつとして考へると、更に新しく馬鹿々々しい後悔を感じた。だが彼は、そんな思ひは努めて気色に現さうとはせずに、この上乱暴をされては面倒だなどと思ひながら、急に猫撫声を出して「お止め、お止め!」と、云つた。それだけでは物足りないので「この上乱暴なんてすれば、一層価打ちが下るばかりだぜ。」などと云つた。
「自分の親父は、……」
「何しろお前は、大した親孝行者だよ。」
「何云つてゐるんだい、しみつたれ! あたしの家なんぞは、今こそ落ぶれてゐるが、そんな小田原あたりの貧乏士族とはわけが違ふんだ
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