甲の者が乙に対して働くということは、甲の性質の中に乙の性質を包含し統括し得た場合をいうのである。かくの如く統一が即ち能動の真意義であって、我々が統一の位置にある時は能動的で、自由である。これに反して他より統一せられた時は所動的で、必然法の下に支配せられたこととなる。
[#ここから1字下げ]
普通では時間上の連続において先だつ者が能動者と考えられているが、時間上に先だつ者が必ずしも能動者ではない、能動者は力をもったものでなければならぬ。而して力というのは実在の統一作用をいうのである。たとえば物体の運動は運動力より起るという、然るにこの力というのはつまり或現象間の不変的関係をさすので、即ちこの現象を連結綜合する統一者をいうのである。而して厳密なる意義においてはただ精神のみ能動である。
[#ここで字下げ終わり]
次に無意識と意識との区別について一言せん。主観的統一作用は常に無意識であって、統一の対象となる者が意識内容として現われるのである。思惟について見ても、また意志についてみても、真の統一作用その者はいつも無意識である。ただこれを反省して見た時、この統一作用は一の観念として意識上に現わ
前へ
次へ
全260ページ中100ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
西田 幾多郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング