看做《みな》すべきものである。
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 ヘーゲルは何でも理性的なる者は実在であって、実在は必ず理性的なる者であるといった。この語は種々の反対をうけたにも拘らず、見方に由っては動かすべからざる真理である。宇宙の現象はいかに些細なる者であっても、決して偶然に起り前後に全く何らの関係をもたぬものはない。必ず起るべき理由を具して起るのである。我らはこれを偶然と見るのは単に知識の不足より来るのである。
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 普通には何か活動の主があって、これより活動が起るものと考えている。しかし直接経験より見れば活動その者が実在である。この主たる物というは抽象的概念である。我々は統一とその内容との対立を互に独立の実在であるかのように思うから斯《かく》の如き考を生ずるのである。
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   第六章 唯 一 実 在

 実在は前にいったように意識活動である。而して意識活動とは普通の解釈に由ればその時々に現われまた忽ち消え去るもので、同一の活動が永久に連結することはできない。して見ると、小にして我々の一生の経験、大にしては今日に至るまでの宇宙の発展、これらの事実は畢
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