きないものであるから、つまり一つの者の自家発展ということができる。独立自全の真実在はいつでもこの方式を具えている、しからざる者は皆我々の抽象的概念である。
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実在は自分にて一の体系をなした者である。我々をして確実なる実在と信ぜしむる者はこの性質に由るのである。これに反し体系を成さぬ事柄はたとえば夢の如くこれを実在とは信ぜぬのである。
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右の如く真に一にして多なる実在は自動不息でなければならぬ。静止の状態とは他と対立せぬ独存の状態であって、即ち多を排斥したる一の状態である。しかしこの状態にて実在は成立することはできない。もし統一に由って或一つの状態が成立したとすれば、直にここに他の反対の状態が成立しておらねばならぬ。一の統一が立てば直にこれを破る不統一が成立する。真実在はかくの如き無限の対立を以て成立するのである。物理学者は勢力保存などといって実在に極限があるかのようにいっているが、こは説明の便宜上に設けられた仮定であって、かくの如き考は恰《あたか》も空間に極限があるというと同じく、ただ抽象的に一方のみを見て他方を忘れていたのである。
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