って真理と遠ざかったものである。真理の極致は種々の方面を綜合する最も具体的なる直接の事実その者でなければならぬ。この事実が凡ての真理の本であって、いわゆる真理とはこれより抽象せられ、構成せられた者である。真理は統一にあるというが、その統一とは抽象概念の統一をいうのではない、真の統一はこの直接の事実にあるのである。完全なる真理は個人的であり、現実的である。それ故に完全なる真理は言語にいい現わすべき者ではない、いわゆる科学的真理の如きは完全なる真理とはいえないのである。
 凡て真理の標準は外にあるのではなく、かえって我々の純粋経験の状態にあるのである、真理を知るというのはこの状態に一致するのである。数学などのような抽象的学問といわれている者でも、その基礎たる原理は我々の直覚即ち直接経験にあるのである。経験には種々の階級がある、かつていったように、関係の意識をも経験の中に入れて考えて見ると、数学的直覚の如き者も一種の経験である。かく種々の直接経験があるならば、何に由りてその真偽を定むるかの疑も起るであろうが、そは二つの経験が第三の経験の中に包容せられた時、この経験に由りてこれを決することがで
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