愛に進み、朋友の愛より人類の愛にすすむ。仏陀の愛は禽獣《きんじゅう》草木にまでも及んだのである。
斯《かく》の如く知と愛とは同一の精神作用である。それで物を知るにはこれを愛せねばならず、物を愛するのはこれを知らねばならぬ。数学者は自己を棄てて数理を愛し数理|其者《そのもの》と一致するが故に、能く数理を明《あきらか》にすることができるのである。美術家は能く自然を愛し、自然に一致し、自己を自然の中に没することに由りて甫《はじ》めて自然の真を看破し得るのである。また一方より考えて見れば、我はわが友を知るが故にこれを愛するのである。境遇を同じうし思想趣味を同じうし、相理会するいよいよ深ければ深い程同情は益々|濃《こまや》かになる訳である。しかし愛は知の結果、知は愛の結果というように、この両作用を分けて考えては未だ愛と知の真相を得た者ではない。知は愛、愛は知である。たとえば我々が自己の好む所に熱中する時は殆ど無意識である。自己を忘れ、ただ自己以上の不可思議力が独り堂々として働いている。この時が主もなく客もなく、真の主客合一である。この時が知即愛、愛即知である。数理の妙に心を奪われ寝食を忘れてこ
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